■初恋

『やぁ、こんにちは』

………や、今、笑いましたね。
やっぱりこの書き出しは可笑しかった?

実は先生、手紙を書いた経験がほとんど無いんです。
人との繋がりを完全に断とうとしていた僕には、必要が無かったから。
まして日本語では、ね。
だから英語の「Hi!」とか「Hello!」とかを訳してみたんだけど。
不慣れな事はするものじゃない、ということだね。
先生、よく分かりました。

でも、それでも、君に伝えたいことがあったから。
―――残したいことがあった、と言った方が正しいかな。
卒業式の日に話したことと重なる部分もあるけれど、聞いて欲しい。
君の手元に今の僕の想いを残しておきたいから。

何度も言った気がするけど、まずはこの一言を。
卒業おめでとうございます。
思い出してみると、3年前に君に出会ったのが昨日の事のようです。
あの日の心もとない姿から比べると、ずいぶん成長して立派になりましたね。
………とでも言えば、教頭先生にも叱られずに済むんだろうけど。
君には『僕』の言葉を聞いて欲しいと思うから、正直に言います。

君が無事に卒業してくれて、先生、安心しました。
あ、君の成績を心配していたという意味じゃないですよ。
先生が君の卒業の障害にならずに済んで良かった、という意味で。
今、振り返ると、君と出会った入学式の事は遠い昔の事のようです。
君とは、それくらいたくさんの思い出を積み重ねたと思うから。

それに、ね。
君と出会ってから成長したのは、僕の方です。
立派になったかどうかは分からないけどね。
僕にとっては、君と過ごす毎日が発見の連続だった。
と言っても、昔、研究をしていた時のような学術的な発見をした訳じゃない。

学校で、君の頑張りを応援できること。
課外授業や部活で、君の煌めきを感じられること。
休日の巡回で、友達と過ごしたり自分の時間を楽しんだりしている君に会えること。
その1つ1つが新しい君を発見できる驚きに満ちていた。

世界にとっては何の役にも立たない、ほんの些細な発見。
他の誰にとっても意味のない出来事が、僕だけに意味を持たせてくれる。
そんな経験をしたのは初めてだった。

でも、何より驚いたのは僕の心に関してでした。
卒業式の日に話した通り、僕は育った環境から人というものに対して失望していた。
だから他人の何を見ようが知ろうが、何も感じない心になっていた。
感情を動かすことがあったとしても『喜怒哀楽』のうち、真ん中の2つだけで。
だけど、君に出会って、僕の心は残りの2つ、喜びと楽しさで弾むようになりました。

今さら蒸し返すのもどうかと思うけど………
その頃から、あの時の事故のようなキスも僕の中で意味を持つようになりました。
………あ、一応言っておくけど、あの時、何でもないことのように振る舞ったのは本心で。
僕は外国で育って、挨拶のような口づけを知っていました。
だから、ただ『日本人の生徒』の心の傷にならないようにあんな風に言ったんです。
あの当時はまだ、この町も教師の仕事も教え子たちも、いつか別れる関係だと思ってたし。

正直な僕の気持ちを話すと言ったから、告白するけれど。
………ごめんなさい。
僕は、君を残すことになっても、いつかこの町を離れるつもりでいました。
桜吹雪の舞う公園で、僕を見失った君が泣きそうになるのを見るまでは。
いや。
その時でさえ、君の泣くほどの想いは僕に響いていなかったのかもしれない。
本当に分かるようになったのは、僕も君を見失ったら泣きたくなる。
そう思えるようになった時からです。

君が、僕の価値観を正反対に変えてしまったんです。
僕にとって仮初めだった居場所は、いつの間にか離れがたい大切な場所になっていました。
君と見た桜、君と見上げた花火、君と歩いた落ち葉の並木道、君と寄り添った雪景色。
1人だったら視界に入っても美しいと思わなかったものが、色を付けて記憶に焼きついた。

けれど、僕は大人で、君の先生でした。
弾む心に任せて、休日に一緒に過ごしたいと何度も誘ったけれど。
楽しい時間が過ぎて帰る頃には、晴れた心も曇ってしまってた。
君が親しみを―――もしかしたら愛しさを込めて僕に触れる。
その指先に、仕草に、応えてしまいそうになる自分が居て。
だけど『先生』である僕がどうすれば良いのかなんて、少し考えれば分かることで………。
そんな迷いを君の前で口にしたこともありましたね。

でも、安心して。
僕はもう、迷わないから。
君の前から逃げないから。

まだ始まったばかりの僕たちは、微妙な気持ちに揺れ動くかもしれない。
だから、こうして今の想いを手紙にして残したかったんだ。
今までありがとう。
そして、これからよろしく。


僕の初恋の人へ―――――――若王子貴文




END



2013/03/30up : 春宵