■初恋

 高校時代から続けている喫茶店のバイトが終わって、部屋でくつろいでいた時。
 携帯の着信音が鳴って、相手の名前を見た途端、思わず正座した。
 “珪くん”
 先月あった高校の卒業式の時に告白されて付き合うようになった彼氏、だ。

 「もしもし」
 「………俺。葉月」

 通話ボタンを押すと、耳に心地いい声が聞こえてくる。
 今さらだけど、画面表示を見れば相手が誰か分かるのに毎回名乗るところが好きだと思う。
 直後、『好き』という言葉に反応して思わず顔が熱くなった。
 ………は、恥ずかしい。
 『好きだ』と思う事が、じゃなく。
 その言葉に過敏に反応してしまう自分が、だ。

 珪くんは、高校に通ってる3年間、ずっと仲が良い友達だった。
 だから、話すのも会うのも電話が来るのも珍しい事じゃない。
 なのに“彼氏”だと思うと、何だかキチンとして電話を受けないといけない気がしてしまう。

 でも、話す内容にまで緊張感がある訳じゃなくて。
 今日の珪くんは大学の授業が終わった後、モデルの仕事に出かけて行ったはず。
 周りがガヤガヤしているみたいだから、帰りで歩いているところなのかもしれない。
 そう予想して聞いてみると『よく分かったな』って褒められてしまった。

 「お前は……バイト終わって部屋でくつろいでたところ?」
 「うん、よく分かったね」

 表情が見えないせいか、電話の声は少し緊張しているように聞こえる。
 だからワザとひとつ前の会話の珪くんの言葉を真似て切り返した。
 すると、聞こえてくる小さな笑い声。
 作戦成功!…って、私もつられて笑ってみる。

 少し前、まだ“親友”っぽい関係だった時なら、珪くんはさらに切り返したと思う。
 『分かりやすい』とか何とかって。
 仲良く話せるようになるまで分からなかったけど、珪くんは結構、鋭い事を言ってくる。
 だけど、考えてみると最近はそういう事を言わなくなったと思う。
 珪くんなりに“彼女”にかける言葉を気遣ってくれてるんだろうか。

 ………また、顔が熱くなってくる。
 居心地の悪いほどじゃない間を空けながら話す珪くんの声を聞きながら、また自爆する。
 ―――けれど。

 今まで何度も電話をくれたことがあっても慣れないのかな、とか。
 もしかして、私が緊張させるような事してるのかな、とか。
 少しだけ心配になってくる。
 こんな気持ちになるのも、珪くんが“彼氏”になってからだ。

 「……なぁ、今度の日曜……」

 1人でグルグル考えていると、また緊張した声に戻って珪くんが言いかけた。
 ぴくぴくと耳が反応する。
 ほんのちょっと前に沈みかけた心が、急に舞い上がる。
 これも高校時代に何度聞いただろう。
 休日に珪くんからお出かけに誘ってくれる時は、いつもこんな出だしなのだ。
 だから、きっと『これもそうだ』と先回りして嬉しくなる。

 大学生になってバイトの日数を増やしたから、日曜日はシフトに入ってることが多い。
 けれど、今度の日曜なら大丈夫だ。
 マスターの都合で、たまたま臨時休業。
 そのタイミングに誘ってもらえそうなんて、すごく運が良い気がする。

 珪くんはいつも間を空けて話すから、間を取ってるんだと思って言葉の続きを待っていたら、
 『……やっぱり、いい……』
 なんて諦められたことがあったのを思い出して、慌てて間を繋ぐ。

 「日曜日なら大丈夫だよ、バイトも休みだし」
 「………知ってる。お前、コーヒー届けに来た時、言ってたろ?」

 食いつくような勢いに自分でも恥ずかしくなっていたら、珪くんが笑いながら言葉を返した。
 そう言われてみると、今日、スタジオにコーヒーを届けた時に言った覚えがある。
 『次の日曜は店が休みだからお届けに上がれません』
 マスターに伝言を頼まれて、臨時休業のお知らせを。

 けれどそれは、いつも配達を頼んでくれるスタッフの方に伝えたはずなのに。
 珪くんも聞いてたのかな?
 私が話してた内容を気にかけてくれたのかな?
 もしかして、珪くんも一緒に出掛けられるかもって喜んでくれたのかな?
 いちいち結びつけてしまう自分に、そろそろ呆れ始める。

 ―――だけど、このところ、珪くんに関わるほんの少しの事が嬉しくて仕方ないのだ。

 はばたき市で知らない人が居ないくらい、街で写真をよく見かけるモデル“葉月珪”。
 ドイツ系の血が入っている端正な顔立ちは見とれるくらいカッコ良くて。
 当たり前だけど、女性ファンは物凄くたくさん…いる。
 その人が、本当に普通の女子なはずの私の彼氏だなんてまだ少し信じられない。

 けれど、もっと信じられないのはその物凄い彼氏が私の初恋の人だった、という事実。

 私には小さい頃、一緒に遊んでいた男の子がいた。
 クセのある金色がかった髪と大きな緑色の瞳。
 当時、私が知っていた子供の中でも一番、整った顔立ち。
 その姿は、ステンドグラスを通して降り注ぐ光を受けて、キラキラ輝いていて。
 いつも会う場所が教会だったせいもあって、私は結構本気で信じていた。
 ―――あの子は天使じゃないかって。

 彼は私の知らない外国の話なんかを知っていて、話すのがすごく楽しみだった。
 だから、親の都合で引っ越すことになってお別れする時はすごく泣いた。
 今みたいにケータイで連絡先を交換できたりする歳じゃないし。
 連絡は途切れたまま、私の中にはその時の記憶だけがおぼろげに残っていた。

 あの男の子が初恋の人だ、と決めたのは。
 もう会えなくなって何年も経って、恋に興味を持った頃の事だった。
 自分の記憶を振り返れば、あの時の男の子がすごく好きだったな、って。

 なのにおぼろげに覚えてる、というのが自分でも情けない。
 だって、珪くんは『高校の入学式で会った時にすぐ分かった』と言ったのだ。
 子供の頃、ほんの少しの間、一緒に遊んでいた女の子が私だと。

 悔しいから、私は“彼氏”になった初恋の人とちゃんと恋をしようと思っている。
 珪くんが驚くくらい、2人にとって大事な思い出をちゃんと覚えている。
 いつか、私がそんな恋人になれるように。 

 「じゃ、俺、迎えに行くから………今度の日曜」
 「うん、私、楽しみにしてる………今度の日曜」

 これから今よりももっともっと珪くんを好きになって………
 ―――私は初恋の人に、二度目の恋をする。



END



2013/04/13up : 春宵