■初恋

日付を確認し、TYBが終わってもう二か月以上経ったのか、と思う。
二之宮財閥の後継者として、悠斗は相変わらず忙しい日々を送っていた。
だから、それだけの日数が過ぎている事に、気付かなかった。
今になって思い出したのは、彼女の姿を見かけたから。
移動中の車内から見かけた彼女は、TYBで彼女が選んだ彼と共に歩いていた。
楽しそうに笑う彼女の姿に、何とも言えない気分になった。
苛立ちにも似たその感情が何なのかは分からない。
だが、決していい気分だとは言えないのに、何故なのか楽しそうに笑う彼女から目が離せなかった。
思わず、車を停めさせてしばらく彼女の姿を眺める。
隣を歩く彼と、時折顔を見合わせて笑いあって歩く彼女は、幸せそうで。
息苦しさを感じて、思わず息を吐き出す。

「悠斗様?」

異変に気付いたらしい秘書が心配そうに悠斗の名を呼ぶが、それに普段通りの調子で答える余裕はなかった。
あり得ないと思う。
こんなことで心を乱すなんて、自分らしくない、と。
そう思い、出発するように告げようとして――出来なかった。
他の男と楽しそうに歩く彼女の姿を見ていたくないのに目が離せなくて。
苛立ちは募る。
彼女が悠斗を選ばなかったことは、今でも納得がいかない。
僕といれば、今まで彼女が経験したことがないような日々を送れると言うのに。
それなのに、何故。
少しずつ少しずつ遠ざかって行く彼女の姿を眺めながら、TYBを思い返す。
今まで出会った女性が皆喜んだ、豪華なデートに対しても、彼女は良い反応を示さなかった。
そう言えば、悠斗の事が知りたいと、本当の悠斗が知りたいのだと、彼女に言われたことを思い出す。
それに答えなかった悠斗に対して、彼女が悲しそうな顔をしたことも。
何故、と改めて思う。
悠斗の事を知ってどうするのか。
それに、何の意味があるのか。
悠斗には分からない。
今まで一度だって、そんなことを言われた事がなかった。
だから彼女の事が気になるのか。
TYBが終わってから二か月以上経っていることには気づかなかったが、そういえば彼女の事は何度か思い出したなと思う。
初めて手に入らなかったモノだからだと思っていたが――本当にそうなのだろうか。
ならばこの、締め付けられるような苦しさは一体なんなのか。

子供の頃から手に入らないものは何もなかった。
何かを欲する必要さえなかった。
欲しいと思えば何でも手に入る。
子供の頃はそれこそ、欲しいと思う必要さえない程に、なんだって悠斗の周りにはあったのだ。
忙しい両親が、用意させたのだろう。
両親と会う事は今でもほとんどないが、あの頃も悠斗の傍に居たのは秘書達で、両親と顔を合わせた記憶など殆どない。
そのことにさえ、今のような締め付けられるような苦しさを感じる事はなかった。
仕方がないと割り切ることも出来た。
なのに、何故。
どうして彼女だけは、思い通りにいかないのか。
既にTYBが終わった今でさえ、彼女絡みの事は上手くいかない。
唯一、悠斗が手に入れられなかったからこそ、こんなに気になるのか。
それとも、他に理由があるのか。
――分からない。
自分の感情さえ上手く制御出来ずに、苛立ちは募るばかり。
本当に何故、彼女絡みの事はこんなにも上手くいかないのか。
どうすればいいのか、どうすれば良かったのか。
そんな事まで思い、ふぅ、と息を吐き出す。
既に彼女の姿は殆ど見えないくらいに小さくなっていた。
それでも、車を出せと告げる事が出来ない。
この、分からない感情の意味は、彼女が隣に居たならば分かったのだろうか。
そう思い、馬鹿らしいと自嘲する。
本当に、らしくない。
何かに執着したことも、何かを心から欲したことも、ない。
それなのに、何故こんなにも彼女の事ばかり考えてしまうのか。

「悠斗様、そろそろお時間が……」

恐る恐るといった様子で秘書が言葉を発する。
時間を確認して、本当にもう余裕がない事に気付いた。
暇ではないのだ。
やらなければならない事は沢山ある。
悠斗は、二之宮財閥の後継者なのだから。
いつまでも立ち止まっては居られない。
彼女の事ばかり考えている時間などないのだから。

苛立ちも苦しさも消えない。
気にならないと言えば嘘になるが、それらを奥底に沈めて、悠斗は出発するように告げる。
彼女が悠斗の隣に立つことはないだろう。
だがそれでも、いつの日か、この感情が何なのか分かる日が来るだろうか。

ゆっくりと車が走り出す。
車窓から、彼女が歩いて行った方を眺めた。
既に彼女の姿は完全に見えなくなっている。
それに安堵し、そして残念にも思う。
相反する想いが何なのか分からないまま、進む。
立ち止まっている暇など、ないのだから。



END



2013/04/09up : 紅希