■ぬくもり
仕事を終えて帰ろうと外へと出れば、雨が降っていた。
傘を差さなければならない程には強い雨。
何となく今日は雨が降りそうな気がして、傘を持ってきて良かったと思いながら神賀は傘をさした。
そうして何故か家へと向かう道から逸れる。
カエルくんが「どこに行くんだよ」と言ったがそれには答えなかった。
何故なら、どうして家路から逸れたのかなんて分からないから。
何となく、まっすぐ家に帰る気分ではなかったのだ。
しばらく歩くと見慣れた人物が軒下で雨宿りをしているのが見える。
帰宅途中に雨に降られたのだろうか。
珍しく彼女の隣に誰もいない。
今日神賀は仕事が早く終わったがそれでも、生徒が帰宅した時間からはそれなりの時間が経っていた。
軒下で雨宿りしている九楼撫子は、神賀には気づいていない。
このまま見なかったふりをして通り過ぎても問題ないだろう。
彼女に声を掛けてそのまま帰っても問題ない。
きっと雨はもうすぐ止む。
けれど――何故かそうすることは躊躇われて、さて、どうしようかと思う。
傘は当然だが一つしかない。
これを彼女に渡して自分が濡れて帰るのもいいが、恐らく彼女がそれを良しとしないだろう。
一つの傘に彼女と二人で入るのも、恐らくは彼女に拒否される。
ならば、と思い神賀は九楼撫子が雨宿りしている場所へと近づく。
突然差した影に彼女が驚いたように顔を上げた。
「神賀先生……」
「九楼さん、雨宿りですか?」
「……はい」
「先生も一緒にいいですか?」
「え? でも、先生傘持ってますよね?」
「そうなんですが、九楼さんを一人で雨宿りさせるのは心配なので」
「あ、いえ、大丈夫です」
「分かってます。単に先生が心配なだけですから。駄目、ですか?」
「……駄目、ではないです」
その撫子の返答は神賀の予想通りだった。
変わらないな、と神賀は思う。
厳密に言えば、この世界の撫子は、神賀の知っている撫子とは違う。
けれど、根本のところは変わらないのだろう。
ああいう風に言えば、彼女が駄目だと言わないだろうと分かっていた。
何故そうまでして彼女と一緒に雨宿りしようと思ったのか。
心配だというのは本当だ。
彼女に身になにかあっては計画に支障が出る。
それが言い訳でしかないと分かっていながら、そう思うことにした。
少しだけ端に寄った彼女の隣に立つ。
彼女が雨宿りしていた軒下は思った以上に狭くて、彼女のぬくもりが伝わってきそうな程、近かった。
無言で隣に立ち、雨が落ちてくる空を見上げる。
出来る事ならば、"彼女"とこんな風にぬくもりが伝わりそうな程近くで、雨宿りしてみたかった。
もうすぐ、彼女は目覚める。
けれど、彼女が目覚めたとしても、こんな風にぬくもりを感じる程近くで雨宿りをすることなどないだろう。
だって彼女は、神賀を受け入れないだろうから。
それでもいい。
彼女が目覚めてさえくれれば、それで。
落ちてくる雨が少なくなり、思考が中断される。
隣にいる撫子と特に何を話した訳ではないが、この時間が終わることを残念だと思っていた。
だからそのままを口にする。
「おや、雨上がりそうですね。……残念です」
「……雨が上がるのが残念なんですか?」
「いえ、九楼さんと一緒に雨宿り出来なくなるのが残念なんです」
「……そう、ですか」
困ったように撫子は言う。
今隣にいる彼女と、"彼女"は別人だと分かっている。
けれど、もし"彼女"と雨宿りしたらこんな感じなんだろうという疑似体験は出来るから。
それが決して幸せな体験ではないことは分かっている。
それでも、残念だと思ったのは本心だった。
雨が完全に上がり、「先生、さようなら」と言い、撫子が軒下から出ていく。
「はい、さようなら」と返して、神賀は遠ざかっていく撫子の背を見送っていた。
空を見上げれば、先程まで落ちてきていた雨は完全に上がっている。
「本当に、残念です」
もう一度そう呟いて、神賀は軒下から出て歩き出した。
出来る事ならばいつか――そんな叶わないことを思う。
だがそれでも、もうすぐ彼女に会えるから。
今はそれだけでいい、そう思った。
撫子が居なくなったことでカエルくんが何やら言っているが聞こえないふりをする。
彼女が目覚めるまで、あと少し。
END
2017/07/03up : 紅希