■一緒に
昨夜から雪が降り続いている。
随分夜が更けた今になってもなお、だ。
他所から来た者は、奥州の冬とは雪深いものだと考えるものらしい。
だが、この辺りでは寒さは厳しいものの、雪についてはそれほどでもない。
今日のように丸一日降り積もるようなことは、むしろ稀なことだった。
お陰で鎌倉軍に対抗するための諸事が少しも進まなかった。
天候の良い日だけを選んで戦に備えるほどの猶予は何処にも無いと言うのに。
奥州の厳しい冬に慣れていない鎌倉軍にとっては、雪が尚のこと不利に働くとはいえ―――
やるべきことが遅々として進まない苛立ちは止めようがない。
何故、敢えてこの時期に攻め寄せて来ようなどと思うのか。
その理由のひとつが目の前に居るから、考えまいとしても考えずにはいられない。
「………一応、悪いとは思っているんだぞ」
こちらの胸の内を悟った訳でもないだろうが。
向かい合わせに座って酒を飲んでいる九郎が、謝罪を口にした。
とは言え、鎌倉軍が自分を追って攻めて来ていることを謝ったのではない。
伺いもなく急にやって来て客人として迎えられていることが申し訳ないと言っているのだ。
「悪いと思うならば最初から来なければ良い」
わざわざ稀な雪深い日の、それも夜にやって来ておいてよく言う。
呆れたため息混じりに言葉を返した。
本人に悪いという自覚はあるようだから、それくらいしか対処の仕様がない。
そして、呆れると言えばこちらの従者・銀についても同様だ。
この雪の中、訪れて下さった方を無下に帰す訳にはいかない、と。
視界が悪いところを九郎一人で帰して万一のことがあってはいけない、と。
俺に伺いを立てる前に、勝手に中に通してしまったのだから。
しかも九郎は御館―――我が父から貰ったという酒を持参していた。
もはや当然と言ったところか、それを聞いた銀が酒宴の準備も勝手にしてしまった。
それで、戦を間近に控えているというのに九郎と差し向かって盃を傾ける羽目に陥っている。
「こんな時でもなければ、お前の手が空くことなど無いと思ったんだ」
「外で出来ることが滞ったとしても、俺の手が空く訳ではない」
「ああ、だから謝っているだろう。………御館の酒は美味いが、一人で乾すのは正直つらい」
そう言って、九郎は盃に注いだ酒を飲み乾した後、眉根を寄せた。
確かに父の好む酒は強いものが多い。
好んで飲んでいる当人にとっては、強さも含めて『美味い』と思うのだろう。
気に入っている“御曹司”に心からの厚意で好きな酒を手渡す様が、ありありと想像できる。
九郎の性質から言って、飲まないのも恩や義理に反するようで受け入れられないのだろう。
………それは理解出来ないこともないのだが。
「何故、俺のところで飲もうなどと思うのだ」
またため息をついて、九郎が注いだ酒を口に含む。
舌を、喉を、臓腑を、熱さが通り抜けていく。―――味などほとんど分からない。
厳寒の地では身体を温めるために強い酒が好まれるとはいえ。
九郎が口にした言い訳ではないが、これを一人で飲み切ろうとするのは難しいだろう。
だが、高館で共に寝起きしている者たちにも酒を嗜む者は居るはずだ。
一緒に飲む相手として俺を選ぶ理由が特にあるとも思えない。
まして雪で衣を濡らしてまで訪れる必要など無いだろう。
だから不平混じりに問えば、少しだけ間を置いてからボソボソと答えを返して寄越す。
「お前と一緒に飲んでみたかった…それだけでは悪いのか」
「………なに?」
「一緒に飲んでみたかったと言った。前に奥州に居た時は、それほど飲めなかったからな」
思わず、継ぐ言葉を失った。
好き好んで俺と一緒に飲みたいと思うなど。
それをずっと前から望んでいたように語るなど。
そのためだけに、このような雪の日に訪れるなど。
あまりにもこちらの理解の枠を超えている。
―――だからこそ、いかにも九郎の考えそうなことだと思うが。
「お前のすることには、本当にいつも呆れさせられる」
「お前は、呆れていても付き合ってくれる。………昔から、そうだったろう」
懐かしそうに、何処か嬉しそうに俺に言葉を返して、九郎は再び盃を傾ける。
強い酒だとは言ってもこの程度で酔う訳でもないだろうに、すでに酩酊しているような言葉だ。
以前、平泉に居た当時、九郎はまだ元服を済ませたばかりで奔放な子供と大差無かった。
幼少期から鞍馬の寺で修行させられていて、同年代の子供と遊んだこともなかったのだろう。
九郎は何かにつけて、同い年の俺を一緒に連れて行きたがった。
だから、呆れるほど付き合わせようとしていたのは九郎の方だったはずだ。
それ自体、十分迷惑なものだったが―――
『泰衡様もあのように無邪気に遊ぶことなどあるのだな』
俺はそんな陰口が耳に入るのも鬱陶しく、その気持ちを九郎に対して隠そうともしなかった。
だと言うのに、棘を含んだ言葉を吐いて別れても、次の日には必ず迎えに来る。
何事も無かったように―――俺が本当に憤っていたのだと思えば、詫びの印に手土産を持って。
“御曹司”に関わる記憶は、いつもわだかまりを残して振り回されているものばかりだ。
どれもこれも、よく覚えている。
いつもいつも『一緒に』と伸ばされる手が、どれほど奇異に見えたか。
『御館の客人だから仕方ない』と言い聞かせてその手を取った日々が、どれほど特異だったか。
久しぶりに顔を合わせたら変わったかと言えば、そんなこともない。
九郎は、あの頃からずっと、恐らく今も、俺の理解の外に居るのだ。
………だが。
「もう、あの頃のような子供ではない」
昔のまま慕っているようにも聞こえる九郎の言葉を拒絶して、盃を煽る。
口に含んだ酒の味か、思い出した記憶のせいか、今の状況のせいか。
苦いものが喉を通っていく。
九郎も間を置くように酒を煽り、苦い表情を見せた。
「そうだな。あの頃には想像もしなかったようなことを、俺も考えるようになった」
自嘲的なことでも考えているのだろうか。
九郎はそう言って、苦しげな表情のまま口の端を上げる。
嬉しい、可笑しい、楽しいから笑う。
奔放な子供の頃ならば、ただそれだけの理由で見せたはずの“笑み”。
そこに別の意味が加わっている。
諦めたような、苦い何かを飲み下すような顔で笑うなど、昔なら有り得なかった。
血を分けた兄弟ならば共に過ごした時が短くても分かりあえると思っていた兄に。
平家打倒の行軍の間、ずっと傍で戦って信頼していた戦奉行に。
同じ八葉として、同じ四神を抱く者として、肩を並べていた仲間に。
自分に見せていた顔とは別の顔があったのだと突きつけられた絶望。
以前、平泉に来た時でさえ、これほど運命に翻弄されているのに、何故分からぬと思っていたが。
さすがにと言うべきか、ようやくと言うべきか、九郎も“現実”を知ったのだろう。
自分が思えば、向こうからも同じような思いが返ってくるなどということは、有り得ない。
その、残酷さを。
その、酷い裏切りを。
―――時は、過ぎている。
俺と同じように、九郎もあの頃のような子供ではなくなっている。
いつまでも“御曹司”の望むまま、一緒に行動できるはずなど無いのだ。
胸に残る記憶と同じように俺に何かを求めたとしても、その手を容易く取ることは出来ない。
だから、九郎は九郎の、俺は俺の道を行くしかない。
そこに理解も協力も………共に手を取って一緒に進む道も、ない。
「お前が何を考えようが、俺には関わりの無いことだ」
言いながら、苦く感じる酒を口に含む。
身体の中を通っていく熱さが、飲み込んだ思いの熱を表しているようだった。
………そのようなことを思うあたり、俺にも酔いが回っているのかもしれない。
そう思い始めて苦笑を漏らそうとした時、九郎がまた言葉に詰まるようなことを言った。
「ああ、お前はいつもそう言うな。………きっと味方でも敵でも、どんな立場になっても」
「……………どういう意味だ」
「俺がお前にどんな感情を持とうと、平然と関係ないと言うのだろう」
「………本当に関係が無いのだから、他の言葉など選びようがない」
「そういうところは、あの頃と変わっていないだろう………だから、一緒に飲みたかった」
「何が“だから”なのか分からぬな」
「ああ、だから、欲を言えば、京の桜も、熊野大社も、瀬戸内の海も、一緒に行って見せたかった」
「特に見たいなどとは思わぬ」
「奥州の外には、お前が知らないものがたくさんある。そういうものを見るたび、思い出していた」
俺よりも酷く酔いが回っているような調子の九郎の言葉は、後の方などほとんど寝言のようだった。
まともに会話が成り立っていない。
適当に相槌を打ちながら、近くで待機しているはずの銀を小声で呼ぶ。
子供の時とは違う、という言葉がここにも係ってくるとは思わなかった。
酒宴は好きではないが、御館に付き従って場数だけは踏んでいる。
まさか、その経験を“御曹司”の介抱に使うことになるとは、考えもしなかったが。
ともかく銀には寝所の用意を整えるように命じて、九郎からは盃を取り上げた。
そして、心底迷惑をしていると言う口調で、聞いているのかいないのか分からない九郎に言う。
「もう俺と一緒に、などと思うな」
「………ああ、悪かった。………明日は、きっと気に入る場所に連れて行くから………」
やはり、聞いていない。
何度目かのため息をつきながら、寝入ってしまいそうな九郎を戻ってきた銀に預けて運ばせる。
酔い潰れる姿を晒すなど、闇雲に信用されたものだ。
―――そう思う胸の内が酒の味よりも苦い。
この先、交わらせるつもりのない俺の道は、九郎の“信用”に足るものではないはずなのだから。
ふと、外の空気が吸いたくなって縁側から微かに覗いた外では、まだ雪が降り続いていた。
この屋敷で交わされたやり取りを、余所事から覆い隠すように、真白く。
END
2013/12/13up : 春宵