■お願い

「うーん…簡単で見た目も良いのが良いよねー……」

久しぶりに本棚から出してきた『お菓子の基本』レシピをめくりながら考える。
載っているお菓子は初心者向けって言われるものばかり。
自分で作るならもう見なくても出来るし、もっとこうした方が良いってアレンジもするけど。
ぼく以外の誰かが、誰かにあげるために作るんだって思うと、選ぶのは本当に難しい。

『央、お願い!』

撫子ちゃんに呼び止められて頼みごとをされたのは、今日の放課後のことだった。
バレンタインで手作りしたいから作り方を教えてほしいって。
とっても真剣に、ぼくに向かって手を合わせて拝んだりするからビックリしちゃったよ。
ぼくと違って優等生な撫子ちゃんだったら、教わらなくても器用に作りそうなのに。
思ったままそう言ったら、急にシュンとなって教えてくれた。

『昔、手作りしたら理一郎に言われたの。こんな不格好なチョコもらっても相手が困るだけだろ、って』
『あー……りったん、やっちゃったね……』

思わず『あちゃぁ』ってポーズになった。
すごくりったんらしい反応だと思うけど。
しかも『相手が可哀想だから俺が片付けとく』とか言ってちゃっかり全部食べてそうだけど。
でもこの場合、可哀想なのは逆に撫子ちゃんだよね。

頑張って手作りしたのにダメ出しされると、もう作りたくなくなっちゃう。
ぼくも同じような思いをしたことは何度もあるから、撫子ちゃんの気持ちがすごく分かった。
それに、それでもまた、誰かに手作りしたものを贈りたいって思ってくれたのが嬉しい。

『分かったよ。良い感じのお菓子を探してみるね』

ぼくがそう答えると、撫子ちゃんはもうお菓子が完成したみたいに喜んでくれた。
実はぼく、今日は大好きな戦隊ものが放送される日だから早く帰ろうと思ってて。
撫子ちゃんに声をかけられた時、すごく面倒そうな顔をしちゃったかもしれない。
でも、手作りお菓子で誰かに喜んでもらいたいんだって分かったら断れないよね。
だから、戦隊ものの録画は円にお願いして、家に帰ってからずっと机でウーンウーンうなってた。

「簡単で手作り感のある見た目だったら、トリュフかガトーショコラかな」

指で挟んでおいた2ヶ所を交互にめくって、うんと頷く。
でも、もっとポップな可愛い感じのが良いのかなとか、すぐに迷っちゃうんだよね。
贈る相手の好みが分かれば、お菓子選びもアレンジも楽なんだけど―――
『誰にあげるの?』って撫子ちゃんには聞けなかったんだ。
それどころか、

『ぼく、これから大好きなテレビ見なきゃいけないから帰るね! ごめん、またね!』

……とか言って、走って帰ってきちゃった。
ぼくに作り方を教えてなんて言うくらいだから、きっと絶対、贈る相手はぼくじゃない。
そう思ったら何だか、撫子ちゃんと話しているのが苦しくなったんだ。
お菓子作りを教えるって約束したんだから、ちゃんと考えなきゃいけないのに。

仕方なく、ぼくが思いつく人たちを思い浮かべてレシピを考えてみる。

撫子ちゃんがバレンタインでプレゼントしそうな相手と言ったら、CZのメンバーかな。
鷹斗くんとりったんは、何だかんだで何でも受け取りそうな気がするよね。
殿は『バレンタイン』自体を説明するところから始めなきゃいけないかも。
……その説明を聞きながらモグモグ食べそうな気も、ものすごくするけど。
甘いものが嫌いな寅くんにあげるなら、ちょっと作戦を考えなきゃいけない。
お菓子じゃなくて、隠し味にチョコを使える料理の方がいいかもしれないね。

「……はぁ……誰にあげるのかなぁ……」

そんな風に相手を想像しようとしたら、落ち込んだ声が出て自分でビックリした。
受け取ってもらえて、美味しいって言ってもらえたらきっと、撫子ちゃんは嬉しそうに笑うだろうな。
そうなったら、教えたぼくも嬉しい。

―――ぼくも、嬉しい?

もう一回大きなため息が出て、もう一回ぼくがビックリした時。
後ろから円の声が聞こえてもっとビックリした。

「異常事態です」

円の真剣で深刻そうな声。
この声はきっと、眉間にしわを寄せながら言ってる。

「央が大好きな戦隊ものを見ないし、晩御飯にも部屋を出てこない」
「何をしているのかと思えば、机に向かって調べものをしているなんて、あり得ません」
「央、熱でもあるんですか? それともどこかで頭でも打ったのですか?」

振り返らないで聞いていると、円はぼくのおでこに手を当てようとして近づいてきた。
もしかして、バレンタインの贈り物の相手が円だったら?
瞬間、思いついたことに慌ててレシピをノートで隠す。
そして両手で円の肩を押さえて、近寄らないように遮った。

「レシピでも考えていたんですか?」

円は目が悪いから、料理の本を見ていたと分かっても内容までは見えなかったんだろう。
ごまかしやすい方向に勘違いしてくれた。
そうだよって頷いて、もしかしたら円にも食べてもらうかも、なんて言ってみる。

撫子ちゃんのチョコ菓子をあげる相手が円だったら。
簡単には受け取らないかもしれないけど、ぼくに教わったレシピだって言えばいいよ。
きっと受け取ってくれるから。
そうすれば、今の言葉も嘘じゃなくなる。
ぼくが教えたレシピを円が食べることになるんだし。
はぁ。―――また、ため息が出た。

「央がため息をつくなんて、やっぱり異常事態です」
「そ、そんなことないよ? ほら、元気だから!」
「今日は早めに寝た方が良いです。央、布団に入って」

円にベッドに引っ張って行かれそうになって、慌てて部屋の外に逃げ出す。
ついでに食べ損なった晩御飯を食べなきゃって思ったら、急におなかが鳴り出した。
……ちょっと落ち込んでも、おなかは普通にへるんだよね……。
『だから料理はいろんな人を喜ばせられる―――だからぼくは、料理するのが楽しい』
いつも料理をする時に心に置いている気持ちを思い出して、ぼくは落ち込んだ心をリセットした。


◇◆◇



数日後―――2月11日。
バレンタイン直前の休日に、ぼくは撫子ちゃんの家に遊びに来ていた。
……あ、『遊びに』っていうのは間違い。
バレンタイン用のお菓子作りのお手本を見せに来ていたんだ。
ぼくの家でやっても良かったけど、円が漏れなく付いてくるからやめておいた。

ぼくが持ってきたレシピの中から、撫子ちゃんが選んだのはガトーショコラ。
2人で買い物をして、作り終えるまでにそんなに時間はかからなかった。
見た目はものすごくシンプルだけど。
パウダーシュガーをふる時に模様が出るようにすれば、それだけでも可愛くなる。
そんなアドバイスをしながら一通り作り方を見せた後、完成品を撫子ちゃんに食べてもらった。

「美味しい!」

撫子ちゃんはさっきまで、レシピをしっかり覚えようとして難しい顔をしていたけど。
一口食べた途端、明るい笑顔を見せてくれる。
良かった、って心の底から思いながら、ぼくも笑顔になる。
やっぱり食べ物の力ってすごい。

「これで英央先生のお菓子作り教室はおしまい」
「ありがとうございました!」

エプロンを外して先生らしくお辞儀をすると、撫子ちゃんも生徒らしく挨拶を返してくれる。
その光景が可笑しくて2人で笑ってから、ぼくは改めて言った。
これから一人で本番のガトーショコラ作りをするはずの撫子ちゃんに、"先生"らしく。

「撫子ちゃんならきっと上手く出来るよ。ぼく、応援してるから」
「ありがとう、央。―――私、頑張って作るから」

残念ながら、心を込めて作れば何でも上手く出来るってわけじゃないけど。
レシピ通りに丁寧に作れば、大抵のものは美味しく出来る。
すごく真剣に、メモも取ったりして頑張って見てた撫子ちゃんも、きっと上手に出来る。
あげる相手がりったんでも、今度は撫子ちゃんに文句なんて言わせないもんね。
ぼくの方がリベンジするみたいな気持ちになって、心の中で舌を出した。
ホント、頑張ってよね、撫子ちゃん。
励ますつもりでもう一度声をかけようとしたら、撫子ちゃんもぼくに何か言いたそうにこっちを見ていた。

「それで、あの……央。じつはもう一つ、お願いがあるんだけど……」
「え、もう一つのお願い?」

ぼくに教えられるガトーショコラの知識は、もう何も無いんだけど?
思いっきりハテナ顔で聞き返したぼくに、何故か撫子ちゃんは照れたような困ったような顔を見せる。
そして、やっとのことで口にしたという感じで、続きの言葉を言った。

「……今度の日曜日、14日なんだけど……会える? ……渡したいものがあるから……」



END



2016/02/08up : 春宵