■指輪

「ん、ん―――?」

後部座席で寝転んでいた悟空が、運転席の僕と助手席の三蔵の間にひょっこり顔を出した。
さらに身を乗り出して前方を見つめている。

「どうしたんですか、悟空」
「八戒、あれ、街だよな?」
「街? どこですか?」
「ほら、あそこ。赤い門が見えるじゃん」

確信を持って言っている様子の悟空が指差す先に目を凝らすけれど、岩山しか見えない。
とりあえずその方向に向かってジープを走らせる。
すると、四半刻ほど経ってようやく豆粒ほどの赤黒い点が見えるようになった。
さらに近づくと、それが確かに街の門だったことが分かった。

「ほらなー、街だっただろ?」
「悟空の目の良さには敵いませんね」
「猿が見つけたにしちゃ、ちゃんとヒトが住む街みてぇじゃねーか」
「猿って言うなー!」
「何はともあれ、10日ぶりのまともな街です」
「……ふん」

門の前でジープを降り、皆口々に感慨を漏らした。
一番反応が薄かったのは三蔵だけれど、その実、一番ホッとしてるのも三蔵かもしれない。

何しろ、前の街を出てから地図を頼りに向かった次の街は、2ヵ所続けて廃墟だった。
小さな集落とは言え壊滅させるほど妖怪たちの暴走の影響が強くなっているのか。
それだけならばただ鬱々とした気分になるだけで済んだのに、途中で雨にも降られた。
それも、この辺りの地域で今の季節に雨が降るのは珍しいはずなのに3日も続いた。
野宿が続いたせいもあって、雨の嫌いな三蔵の機嫌は日に日に悪くなっていった。
苛々といつもより速いペースで煙草を吸い続け、昨日ついに最後の1本を吸ってしまった。
お陰で今朝からハリセンで叩く音と銃声が響きまくっている。
あと1日でも街に着くのが遅かったら、僕たちの中から死者が出かねなかった。
……少しも誇張じゃなくそう思う。

「腹減ったー! 何か食いに行こうぜ!」
「待ってください、悟空。まずは宿を確保しないと」
「くん……くんくん……あっちの方から美味そうな匂いがする!」

重苦しかった旅路から解放されて、僕の制止も聞かず悟空が飛び出していく。
仕方なくその後ろ姿を追った。
門からまっすぐ中央に向かって伸びている大通りは、幟や提灯で飾られている。
前方に見えてきた広場には露店も出ているようで、悟空を見失いそうなほどの混み具合だ。

「お祭りですかね」
「こんな辺境なら商人団が着いただけでも祭り並みの騒ぎになるだろうな」
「いいじゃねーか、祭り。祭りついでに晴れ着美人とベッドで踊り明かしてぇ」

三蔵と悟浄と一緒に物珍し気に周りを見回していると、悟空が駆け戻ってきた。
食べ物の露店だけ一通り見てきたらしく「あれと、これと、てゆーか全部食いたい」なんてウズウズしている。
街に着いた時には宿を優先した方がいいと思ったけれど、悟空の食欲と三蔵の煙草の方が急務かもしれない。
そう思い直して、しばらく露店を見て回ることになった。

両腕いっぱいに露店の食べ物を買って次々と頬張る悟空。
愛飲している煙草を見つけるなり買い込んで早速一服し始める三蔵。
それなら俺は酒だなと、謎の対抗意識を燃やしてボトルを買い込む悟浄。

三者三様の買い物に財布係として付き合って一段落した時。
何の気なしに通り過ぎようとした露店から聞こえてきた会話に思わず足を止めた。

「ごめんな、俺の安い給金じゃこんなもんしか買えなくて」
「ううん、あなたが私のために買ってくれたものだもの。私にとっては宝物だよ」

まだあどけなさの残る男女、たぶん夫婦じゃなく恋人同士なんだろう。
女性の方が大事そうに受け取ったのは、指輪だったように見えた。
実際、露店には様々な宝飾品が並んでいる。
―――お小遣いを貯めれば、年頃の女の子でも買えそうな安価の。

「晴れ着美人を口説くなら、もうちっと奮発した方がいいと思うぜ」

僕が立ち止まって露店を見ていたことに気づいたんだろう。
いつの間にか隣にいた悟浄が声をかけてきた。
笑いを含んだ言葉に、こちらも軽口を返す。

「僕にも若い頃があったなーと思い出してたんですよ」
「“若い頃”って……八戒、今、いくつよ?」
「あははは」

笑ってお茶を濁しながら、“若い頃”の思い出話を口にする。

「僕もあんな指輪を花喃に贈ったことがあったんです」
「ガキの頃に?」
「いいえ、いい大人になってからの話です」
「“いい大人”って……だからお前、いくつよ?」

小さな村で講師をしていた僕の給金は安く、花喃と2人で食べていくのがやっとで。
高価な物はもちろん、手頃な値段の物でさえ宝飾品と呼ばれるものには手が届かなかった。
けれど、この街のような露店の立ち並ぶ市があった時、硝子細工の指輪が目に入った。
僕の懐事情でも買えた子供騙しの指輪を、それでも彼女は喜んでくれた。
まさに今、通りすがりに聞こえた会話そのままに「悟能が贈ってくれたものなら宝物だ」と。

「結局、彼女の細い指には大きすぎて、首飾りとして着けてましたけどね」
「初めて彼女に指輪を贈った時の失敗あるあるだな」
「ええ。それでも、僕の買った指輪を彼女が身に着けてくれることが嬉しかった」

今思えば、彼女への想いを、あるいは彼女と僕の絆を、目に見える形にして留めておきたかったのかもしれない。
僕たちは幼い頃に生き別れて別々の場所で生きてきた。
一緒に居られる日々に幸せを感じながら、その儚さを背中に感じていた。
だから、通じ合った想いや幸せな日々を象徴するものが欲しかったんだと思う。

「でも、硝子の指輪にしたのは失敗でした。程なく割れてしまって」
「……まぁ、そうなるだろうな。大事に、いつも身に着けてたんなら尚更?」

幸せな日々を象徴するはずだった物が、儚さの象徴になってしまった。
自分の不注意だったと、花喃は指輪が壊れたその日、泣き続けた。
その後、僕たちが迎えた結末を思えば、あの硝子の指輪はまさに僕たちの関係そのものだった。
あんな脆い物を贈ってしまったから僕たちの運命は悪い方へと傾いてしまった。

そう、あの頃の僕なら思っただろう。

僕がもっといい宝飾品を買ってあげられていたら、僕たちは今も幸せだったかもしれない。
僕がもっと上手くやれていたら、花喃が百眼魔王に攫われることなどなかったかもしれない。
救い出した彼女にかける言葉が違っていたら、彼女が自害することはなかったかもしれない。

“かもしれない”を挙げ連ねて、あったはずなのに手に入らなかった幸せな未来に酔うのは心地がいい。
後で悪酔いに苦しむことになっても、その一時は酩酊して現実を見失えるから。
けれど、どうせ酔うなら指輪を贈ったあの日、彼女が見せた笑顔を思い出していたい。
今ならそう思う。……そう思うように、なれた。

「……壊れて泣かれたことも含めて、若かりし頃のいい思い出です」
「だからお前、いくつだよ……は、置いといて。じゃ、今夜は“若い頃”の八戒に乾杯でもするか」
「あれ? 晴れ着美人とベッドで踊り明かすんじゃないんですか?」
「そりゃ、そんな美人とお近づきになれたら、お前のことなんか放って踊り明かすけどよ」
「ひどいなぁ」

悟浄と笑い合って、宿を探すついでに酒場も見繕いながら歩く。
後ろで僕たちの話を聞いていたらしい三蔵が、ふっと笑った気配がした。
あれだけ露店の食べ物を食べ尽くした悟空がまた「腹減った」と言い出したのを窘める声の調子も、幾らか穏やかになっている。
幸せだった過去を思い出して酔えるのは、彼らと騒がしくも和やかに一日を終れるようになったからかもしれない。
そう思えば、自分の口元にも笑みが浮かんだ。

―――今日は心地よく眠れそうだ。



END



2023/04/13up : 春宵