■声を聞かせて
声が聞きたい。
俺を見て欲しい。
傍に、居て。
君さえ居れば他に何も要らない。
君の居ない世界なんて、要らない。
君が居なければ、何の意味もない。
――だから、もう一度、声を聞かせて。
ずっとずっと、それだけを願ってきた。
十年前のあの日から、ずっと。
必ず助けるとそう誓ったあの日から、ずっと。
それがやっと叶って、彼女は今此処に居る。
動く彼女を見て、それでも直ぐには信じられなかった。
それでも、彼女が此処に居るのは確かで、それが本当に嬉しかった。
彼女が俺に向ける言葉なら、どんな言葉だって良いから聞きたい。
その目で俺を見てくれるなら、傍に居てくれるなら、それだけでいい。
彼女さえ居れば、他には何も要らない。
でも、それでも、出来る事なら彼女の喜ぶ顔が見たいと思った。
どうすればいいのか考えて、彼女は確か甘いモノが好きだった事を思い出した。
そして、一緒にクッキーを作った事も。
だから、作ろうと思ったのだ、クッキーを。
そしたら喜んでくれるんじゃないかと、そう思って――。
「聞いてるんですか、キング」
「ん? ああ、ビショップ。なんだい?」
「なんだい? じゃないです。貴方ね、料理するなと何度言えば分かるんですか。何度キッチンを破壊すれば気が済むんです?」
「別に破壊するつもりは、ないんだけど。ただちょっと爆発しただけで……」
「これのどこが、ちょっと、なんですか。そもそも何で料理して爆発が起きるんです」
料理をしている最中に爆発が起きたせいで、一部が破損したキッチンへと視線を向けて、呆れたようにビショップは言う。
ちらりとその視線を追って、鷹斗は溜息を吐き出した。
何故料理をして爆発が起きるのかなんて、俺が知りたいと思う。
本に書いてある通りにやっているのに、爆発するのだから。
成功したのは一度だけ。
小学生の時、撫子と一緒にクッキーを作った事があった。
その時だけは、爆発する事もなく出来て、とても美味しかったのだ。
その時の事を思い出して作ったにも関わらず、爆発は起きた。
「それが、分からないんだよ。昔撫子と一緒に作った時は、上手くいったんだけど」
「まさかと思いますが、料理した理由が、昔彼女と一緒に作った事を思い出して、とかじゃないですよね」
「良く分かったね。撫子喜んでくれるかなと思って。彼女塞ぎこんでるみたいだから」
鷹斗の言葉を聞いて、ビショップは心底呆れたと言わんばかりの溜息を零す。
「……その原因を作ったのが貴方だって自覚、あります?」
「ずっと閉じこもって居れば、気分が落ち込むのも分かるんだけど。でも外は危ないから」
「……閉じこもっているから、以前の問題なんですが……何を言っても無駄みたいですね。とにかく、貴方はこの部屋から出て行って下さい、邪魔です」
そう言われて、部屋の入口へと向かい掛けて、鷹斗は立ち止り振り返る。
「ねえ、ビショップ」
「……まだ、何か?」
「さっき、撫子の声が聞こえた気がしたんだけど」
爆発が起きて、ビショップが駆けつけて来た直後、確かに彼女の声が聞こえた気がしたのだ。
けれど、声が聞こえたはずのこの部屋の入口へと視線を向けても彼女の姿はなく、気のせいかとも思ったがどうしても気になる。
鷹斗の言葉を聞いたビショップは、深い溜息を一つ零した。
「ええ、居ましたよ。爆発の音を聞いて驚いて来たみたいです。危ないから部屋に戻らせましたが」
「そう。それじゃあ俺は……」
「ええどうぞ。彼女の所へ行って良いですから、早くこの部屋から出て行って下さい」
邪魔です。とビショップは鷹斗を部屋から追い出す。
追い出された鷹斗はそのまま撫子の部屋へと向かった。
撫子の部屋の前に着き、ノックをして声を掛ければ、直ぐに扉が開く。
促されるままに、鷹斗は部屋の中へと足を踏み入れた。
勧められるままに椅子に座る。
撫子はお茶の用意をしながら、鷹斗へと問いかけた。
「……ねえ、鷹斗。先程凄い音がしたのだけれど、あれは……」
「ああ、うん。クッキーを作ってたんだけど、爆発しちゃって」
「どうしてクッキーを作って爆発するのかしら」
言いながら撫子は鷹斗の前に温かい紅茶を置く。
「ありがとう」と礼を言って、鷹斗はそれを一口飲んだ。
鷹斗の向かい側に座った彼女へと視線を向けて、言葉を紡ぐ。
「小学校の時一緒にクッキー作ったの覚えてる?」
「……確かに鷹斗と一緒にクッキーを作ったけれど、それは貴方じゃなくて――」
「うん、分かってる。あの時代の鷹斗と作ったんだって事は」
撫子が此処に来てから何度も言われている事。
だから、彼女が何を言いたいかなんて、聞かなくても分かった。
何故そんな事を言うのか。撫子は確かに此処に居るのに。
それなのに、何故”違う”と言うのか。
言われてから考えてみたけれど、良く分からない。
記憶にある撫子より確かに大人になっていて、外見もそして声もあの頃とは違う。
でもそれでも、今目の前に居る撫子は、確かに撫子なのだ。
それ以外の事実なんて、必要ない。
彼女が動いて傍に居てくれる。
ずっと聞きたいと思っていた声が聞ける。
鷹斗とその声で名前を呼んでくれる。
それだけで良かった。
ただ彼女と共に過ごせれば、それだけで良い。
こうして傍に居てくれれば、それだけで良いのだ。
俺はずっと待っていた。
撫子を助けると誓ったあの日から、十年前のあの日からずっと。
それがやっと叶ったのに――「貴方の知っている撫子じゃない」と撫子は言う。
けれど、何が”違う”のかが鷹斗には分からなかった。
ねえ、撫子。
俺は、君が傍に居てくれればそれだけで良いんだ。
君が俺を見て、俺の名を呼んでくれる。
それだけでいい。
だから――。
「鷹斗」
「――え? あ、ごめん。何?」
「……どうしたの? 先程から何度も呼んだのだけれど」
「ごめん、ちょっと考え事してた。それで、何?」
「此処に居て大丈夫なの? 円が捜してるんじゃないかと思って」
「ああ、それなら大丈夫。俺が此処に居る事は円も知ってるから。……邪魔だから出て行けと円に追い出されたんだよ」
そう言えば撫子は驚いた顔をして、「そう」とだけ言った。
遠い、と鷹斗は思う。
目の前に確かに撫子は居るのに、手を伸ばせば届く距離に居るのに。
ずっと眠っていた時よりも遠く感じる。
そう思ったのは今日が始めてじゃない。
けれど、その理由が良く分からなかった。
ただ、考えなくてはいけない気はした。
彼女の言う”違う”の意味を。
その意味が分かった時、彼女は今と変わらず傍に居てくれるだろうか、それとも――。
あの時失った全てを、確かに取り戻したはずなのに。
あの頃のようには戻れない。
撫子の言う”違う”の意味は良く分からないけれど、でも、鷹斗も”違う”と感じるものはあった。
ずっと彼女の声が聞きたいと思っていた。
あの日からずっと、もう一度「鷹斗」と呼んで欲しいとそう願っていた。
共に生きていきたいと、ただそれだけを願っていた。
それが叶って、けれど違うのだ。
確かに彼女は「鷹斗」と呼んでくれるけれど、でも違う。
あの頃彼女が俺の名前を呼んでくれたのと、何かが違うのだ。
それが彼女の言う”違う”と同じ意味なのかは分からないけれど、でも、だからこそ考えなくてはいけないと思う。
出来る事ならばあの頃のように、そう思うから。
答えが出た時、彼女が変わらずに傍に在ってくれる事を願って、冷めた紅茶を飲みほした。
途端に、撫子の部屋がノックされて、呆れたようなビショップの声が聞こえてくる。
「キング、いい加減戻って仕事して下さい」
「邪魔だから出て行けと追い出したのはビショップだろう」
「貴方が居ると片付かないどころか、余計な手間が増えるだけですから。とにかく、もう片付けはとっくに終わってます、戻って仕事して下さい」
「分かった、戻るよ。……撫子、紅茶美味しかったよ、ごちそうさま。また来るから」
「ええ」という短い撫子の返事を聞いて、鷹斗は部屋の外へと出る。
どうやら鷹斗が部屋に戻るまで付いてくる気らしいビショップをちらりと見て、鷹斗は部屋へと向かった。
あの頃当たり前にあった幸せな日常を、もう一度――そう、願いながら。
END
2012/05/23up : 紅希