■一番好きなひと

今日も車から降りた数百メートルを、撫子と歩いて登校する。
久しぶりに晴れた青空に、自分の吐いた息が白く昇っていく。

『晴れたって言ってもこんなに寒いんだから、正門前まで乗って行きなさい』

放射冷却って言うんだったか。
撫子の父親が過保護な心配をする気持ちが分かるくらいには冷え込んでいる。
けれど、俺たちの前を歩く女子の周りだけは気温が高いような気がする。

「ねぇねぇ、もうチョコ買った?」
「今年は頑張って手作りしてみようかなって…」

別に、他人の会話を盗み聞く趣味がある訳じゃないけど。
2月に入ってから、熱気だけじゃなく甘い香りまで漂ってくるような会話がよく聞こえてくる。
バレンタインまであと1週間。
誰かにチョコレートを渡すつもりがある女子なら、気忙しくなる時期だろう。
―――チラリ。
思わず隣を歩く“女子”を盗み見る。

「……どうかしたの、理一郎?」
「何でもない」

プイと目を逸らしながら、ホッと小さな息を吐く。
撫子がバレンタインを意識している様子は今のところ全くない。

『はい。これ、理一郎の分』

撫子から初めてチョコを貰ったのは小学校に入る前。
母親と一緒に作ったと言うハート形のチョコを巾着型の袋でラッピングしたものだった。
珍しく少しテンションが高くて頬を赤く染めた撫子が包みを差し出す。
受け取った俺は、撫子から貰えるなんて思いもしなかった分、ずいぶん呆けた顔をしていたと思う。
けど、じわじわと湧いて来た嬉しさは撫子の次の言葉でかき消された。

『一番好きな人には、理一郎にあげたのより大きいチョコを作ったんだ』

頑張ったんだから褒めて、とでも言いたかったのか。
撫子は何の悪気も無く俺に宣言をした。

『“一番好きな人”が他に居る』

後から聞いたら、それは撫子の父親だったんだが。
それ以来、バレンタインというイベントは、強烈な敗北感を思い出す日になっていた。

幸い、撫子は男子どころか女子とさえ親しくするようなタイプじゃない。
撫子からチョコを貰うのは毎年、俺と撫子の父親だけだった。
良くも悪くも安定していた状況が今年は違っている。
数ヶ月、共に活動していて、傍目にも仲良しだと思われているCZのメンバーが居るからだ。
それも、撫子以外は全員男子。

もしかしたら、その中に俺より大きいチョコを貰うヤツが居ないとも限らない。
もしかしたら、その中に“一番好きな人”が居ないとも限らない。

「理一郎、本当にどうしたの? 顔色が悪いみたいだけど」
「……寒いからそう見えるんじゃないか」

覗き込む撫子から顔をそむけるように、歩調を速めて校舎に向かう。
バレンタインまであと1週間。
女子たちの周りの空気は熱く甘いのかもしれないが。
俺の周りは冬の空気と同じく凍てつく冷たさになるかもしれない。



END



2020/02/19up : 春宵