■視線の先

茜色に染まるマク・アヌ。
と言っても、此処はThe Worldというゲームの中の世界で、マク・アヌはいつだって茜色に染まっている。
雨のフィールドはいつ言ったって雨だし、曇りのフィールドはいつ行っても曇りだ。
だがそれでも、茜色に染まる此処マク・アヌは綺麗だと思う。
平穏を取り戻した此処は、以前と変わらぬ穏かな空気が流れていた。
何もかも終わったんだと、クーンは改めて実感する。
再誕の発動によりAIDAはなくなり、クビアも倒した。
パイと八咫はあれ以来ログインしていない。いずれ辞めると言っていたからこのままログインする事もないのかもしれない。
それ以外の、他の仲間とは今でもクエストをしたり、一緒に冒険したりしている。
だが、ここ一週間程、ハセヲの姿だけを見ていなかった。
ログインしているが会わないという訳じゃない。
ログインすらしていないのだ。
リアルがあるのだからそんな時もあるだろうが、あまりにも色々あった為もしかしたらなんて思ってしまう。
クビアを倒した後、痛みの森のクエストを仲間と共にクリアして、そしてその翌日からハセヲはThe Worldにログインすることがなくなった。

マク・アヌの街を何をするともなく歩いていたクーンは、差し掛かった橋の上に、ここしばらく見掛けなかった姿を見つける。
一週間ぶりに見た姿に、内心で安堵した。
声を掛けようかと思い近付き、だが思いとどまる。
欄干に手を付き何処か遠くを見つめるその視線の先には、一体何が、誰が居るのだろうか。
聞かなくても分かる気がして、だからこそ声を掛けるのを躊躇う。
出会った頃とは正反対の色を身にまとうその姿。
遠くを見つめるその後ろ姿を眺めながら、クーンは少し前に終わった戦いへと思いを馳せる。

最後の戦いのあの時。
自分達には見えていなかったけれど。
あの場にきっと、オーヴァンの姿があったのだろう。
八相の反存在のクビア。
相対するこちらは一人欠けた状態で、当然だが力もこちらの方が劣っていた。
ハセヲがオーヴァンの名を呼ぶ声が響いて、そして、クビアは倒された。
その後、呼びとめるようにオーヴァンを呼ぶハセヲの声が響いて。
何となくその声を聞いた時、クーンはハセヲが泣いているんじゃないかと思ったのだ。
姿は良く見えなかったから分からないけれど。
弱音を吐く事も甘える事も殆どないハセヲのあんな声を聞く事は、滅多にない。
一度スケィスが暴走して、メイガスでそれを止めた時にも似たような声を聞いたが。
あの時とはまた違う声だった。
皆の前に戻ってきたハセヲはいつも通りで、戻ろうというハセヲの言葉で皆はタウンに戻ったのだ。
だがその戻る直前、ハセヲが振り返ったのを、クーンは見ていた。
まるで何かを捜すような目で見ていたのを、見てしまったのだ。
それはほんの僅かな時間の出来ごとだったけれど。
いつだってその視線の先に在るのは、たった一人なのだとあの時実感した。

そこまで思い返して、ふと現実へと戻る。
橋の欄干に手をついて何処か遠くを見ているハセヲと、そのハセヲの背を眺めるクーンの間をPCが何人も通り過ぎて行く。
時折、すっかり有名人になってしまった――いや元から有名ではあったが――ハセヲに気付き視線を投げる者もいたが、殆どはその場に立っているクーンにもハセヲにも見向きもせずに通り過ぎて行く。
そんな様子を眺めて、そう言えばとまた思いを馳せる。

身勝手な奴だとずっと思っていた、ハセヲの事を。
それが間違いだと気付いたのは、あの時だ。
CC社や八咫の考え方に着いて行けないと思い、G.U.を一時離脱していたあの時。
どうしても自分一人では手に負えずに、ハセヲに協力を頼んだ。
G.U.を抜けたはずの自分に対しても、ハセヲは以前と何ら変わりなく接し、そして。
その後、G.U.に戻る事は出来ないがハセヲが必要な時は呼んでくれとメールをしたのだ。
それから程なくしてハセヲからメールが届く。
アトリにレベル上げに誘われているから付き合ってくれと。
シラバスやガスパーを誘えない事情があるから、と。
詳しい事は直接話す、と。
そんな簡潔な内容だった。
承諾のメールを送ってログインすれば、直ぐにパーティへ誘うショートメールが届く。
行った先で、ハセヲがアトリに告げたのは、揺光が未帰還者になったという事だった。
タウンに戻りアトリがログアウトした後、何があったのかとクーンはハセヲに聞く。
ドル・ドナにあるカナードの@ホームに行って、中にいたシラバスにしばらく外してくれと頼み、話しをした。

「未帰還者になったって、AIDAか?」
「分からねえ。俺が着いた時にはもう、揺光はキルされた後だった」
「……」
「また俺は、間に合わなかった」

強くなれば守れると思ったのに。
続けて独り言のように紡がれたその言葉で、ただ我武者羅に力を求め、時々危ういとさえ思える真っ直ぐさで只管進む理由が分かった気がした。
取り戻したいというのは本当だろう。
だがそれと同じくらいにあったのは、自責の念。
間に合わなかったという言葉から察するに、もう少し早く自分が到着していればと思ったのだろう。
目の前でPCとは言え消えて行く姿を見るのは、一体どんな気持ちだろうか。
そんな経験のない自分には想像することしか出来なかった。
ただ、出来るだけ傍に居てやろうとは思った。
危ういと思えるほど真っ直ぐに、ただ一つしか見ずに進んで来たのを思えば、心配にもなる。
思い詰めて何をするか分からない危うさが、ハセヲにはあったから。
身勝手な奴だとずっと思っていた。
自分の事しか考えてない奴なんだと。
だが、取り戻したいと言う思いと自責の念で、余裕がなかっただけなんだと、あの時気付いた。

「ハセヲ、ずっと聞きたかった事があるんだ」
「なんだよ」

ついでだと思い、ずっと聞きたいと思っていた事を、聞いたのも、あの時だ。

「なんでずっと独りで行動してたんだ? 独りで出来る事なんて限られてるだろ」
「……PCがキルされてリアルで意識不明になるなんて、誰が信じるんだよ」
「誰も信じなかったのか?」
「そう言う訳じゃねぇけど」

そう言って黙りこんでしまったハセヲの言葉を、クーンはただじっと待つ。

「……独りなら裏切られる事も、騙される事も……失う事もないからだ。もう仲間を失うのは、嫌なんだよ」

しばらくの沈黙の後、吐き出されるように紡がれた言葉に、クーンは何も言葉を返す事が出来なかった。
浮かぶのは、知識の蛇で見せられた過去のハセヲの姿。
出会ったばかりのころもそうだったけど、誰も寄せ付けない雰囲気を纏っていた。
本当に周りを拒絶していたんだろう。
騙される事、裏切られる事、そして失う事への恐怖を抱えて。
その頃と比べたら随分と変わったと思う。
だがそれでも、仲間を信頼して居ない訳ではなのだろうが、独りでどうにかしようとするところは変わらない。
だからこそ、心配だった。
だからだろう。 G.U.へと戻る気はないのに、また何かあったら呼んでくれと告げた。
だが結局、碧聖宮での戦いの時に駆けつけるまで会う事はなかったが。

そんな事もあったなと、今ならば思えるが、あの時は結構な衝撃だった。
そう思いながら見れば、先程までと全く変わらない状態でハセヲが欄干に手を着いて遠くを見ていた。
いい加減声を掛けようと、クーンは近付く。
近付いても全く気付く様子がないハセヲに、クーンは声を掛けた。

「ハセヲ」
「……なんだよ、クーンか」
「クーンかって事ないだろ。久しぶりだな」
「……ああ、そうだな」

一度クーンの方を向いた視線は、再び先程の位置に戻される。
一週間どうしていたんだ、とは聞かない。
言いたければ言うだろうし、何も言わないと言う事は言いたくないと言う事だから。
随分と緩和されたとは言え、ハセヲは不用意に踏み込まれるのを快くは思わない。
とは言え、一人で全てを抱え込みがちな為、上手い事聞き出す必要がある場合もあるが、今回はそう言った類の事ではないだろうと判断する。
また、遠くを見るような目で何処かを見るその姿を見て、クーンは思う。
あんな思いをして、あんな思いをさせられて。
それでもまだ、その元凶とも言える存在を思うハセヲが、クーンには分からなかった。

揺光が未帰還者になったとクーンに告げた時でさえハセヲは泣く事はなかった。
そんなハセヲが唯一泣く事が出来るのはきっと、彼の傍らなんだろう。
あの時、最後の戦いの後。
泣きそうな声で、いや泣いているんじゃないかと思える声でオーヴァンの名を呼ぶハセヲを思い出す。
正直クーンは、オーヴァンの事を許せる自信はない。
妹を助ける為とは言え、犠牲は決して少なくはなかったから。
あんな方法しか本当になかったのかと、今でも思う。
だが一番苦しんだであろうハセヲは、彼の帰還を待っているのだろう。
だから仕方ないから、帰還を望んでやろうかと思ったクーンの思考は、ハセヲの声によって遮られる。

「なあ、クーン」
「ん? どうした」
「前に、何でずっと独りで行動してたのかって俺に聞いた事あっただろ」
「ああ、あったな」
「あの時、さ。失いたくないって答えたけど、あれ、嘘って訳じゃないけど、違うんだ」
「どう言う事だ?」
「俺ずっと、志乃を取り戻したら全て取り戻せるって思ってた」
「……」
「志乃とオーヴァンと過ごした日々を、過去を、取り戻せるって思ってた。出来るはずないのにな」

遠くを見たまま言うハセヲに、クーンは何を言えばいいのか分からなかった。
確かに、出来る筈がない。
過去は過去であって、どんなに望んでも同じ日々を取り戻す事は出来ない。
だがそれでも、取り戻したいと言う思いは、分かる気がしたから。

「取り戻す為には、俺の傍に他に誰かが居たら駄目だと思ったんだ。だってそうだろ? 他の誰かが居たらそれはあの日々とは違うモノになるから……」

だから、仲間と行動する訳にはいかなかったんだとハセヲは言う。
過去を取り戻す事は出来ないと知って尚、それでもその視線の先にあるのはやはりただ一人だった。
ならばそれはもう、彼自身を望んでいるのだと、ハセヲは気付いているのだろうか。
どちらにしろ、今はハセヲの周りには戦いの日々の中で出来た仲間が居る。
ハセヲもその仲間を以前のように拒絶してはいない。
それを分かった上で問う。答えなんて聞かなくても分かっているけれど。

「今は、違うんだろ?」
「ああ。……本当に、終わったんだな」
「平穏そのもの、だな」
「けど、俺もうやる事もないんだよなあ。これ以上レベルあがんねぇし」
「それは俺も同じだって」
「そう言えばそうだな」
「そう言う事。それじゃあ、一緒に冒険に行くか」
「何でそうなるんだよ」
「さっきから見てたけど、ハセヲずっと此処に居るって事は暇なんだろ?」
「見てたのかよ。だったらさっさと声掛けろよな」
「まあまあ、とにかく行こうぜ」

そう言って促せば、仕方ねえなと呟いてハセヲはやっと欄干から離れる。
あの時のように、一度だけ先程まで見ていた所を振り返って――そうしてクーンに向けられた表情は、以前良く見ていたままのモノだった。
変ったなと思う。
だが、元々彼はこういう性格だったんじゃないかと今なら思う。
独り戦い続ける日々の中で、失くしたものは多かっただろう。
これから先、平穏を取り戻したこの世界で、失くした全てを取り戻せる事を願う。
その視線の先にいつも在る存在さえも。

カオスゲートに行けば、そこにはエンデュランスが居て――どうやらハセヲがオンラインになったのを知って待ち伏せしていたらしい――仕方なくエンデュランスも伴ってエリアへと出て行く。
戦いの日々の中得た仲間達と、これからは平穏を取り戻したこの世界を楽しもうと思っていた。

ハセヲはきっとずっと彼を待ち続けるのだろう、この世界で。
いつの日か帰って来る――そう、信じて。



END



2011/04/09up : 紅希