■君との距離

 穏やかな風が心地いい昼下がり。
 陽射しもそれほど強くなくて、玄徳様に仕える前のボクならきっと昼寝でもしていたと思う。
 これからお茶をしようと言うのだから、今でも大した違いは無いけれど。

 「それにしても……」

 ―――遅い。
 お茶の準備をしに行ったっきり彼女が帰ってこない。
 彼女がこの城で一番、迷子になりやすいことはよく知ってる。
 迷わなくても何かしら手を止め、足を止め、引っかかる性格なのも知ってる。
 だから一応、暇つぶしに書簡のひとつくらいは持ってきたんだけど。
 とっくに読み終えて、返事の文章まで考えてしまった。
 そうした頃にようやく、彼女のものだと分かる足音がこちらに向かって近づいてきた。

 「師匠、お待たせしました!」

 さすがボクの“優秀な”弟子だ。
 師匠の予想を大幅に越えた今頃になって戻ってくるのだから。
 準備してきたお茶と、これまた予想外のお茶請けが彼女の手によって卓に並べられる。
 果実と甘味と饅頭。
 ちょっとした休憩には豪勢すぎるお茶請けだ。
 出所は大体想像がついたけれど、聞いてみる。

 「どうしたの、これ?」
 「お茶を用意しに行ったら、途中で翼徳さんに会って果物を貰ったんです」
 「やっぱり、果物は翼徳殿から貰ったんだね」
 「はい。こっちのお菓子は、一緒に居た雲長さんから貰いました」
 「それで、この辛みが効いてそうな饅頭は芙蓉姫かな?」
 「そうなんです。2人にお茶請けを貰った話をしたら『雲長なんかに負けないから!』って言って」

 なるほど、さすがボクの弟子。
 城を歩けば誰かに、ではなく複数の主立った人たちに出会ってしまう。
 納得しかけたボクに、彼女はさらに寄り道してきたことを告げた。
 3人のくれた食べ物がボクと2人で食べるにしては多い、と判断した彼女は……
 通りがかった子龍殿と執務室にいる玄徳様にお裾分けしてきた、と言うのだ。

 「……はぁ」

 思わずため息が漏れた。
 これじゃ、何のためにわざわざ部屋を離れて休憩をしに来たのか分からない。


 子どもの頃に出会って、目の前から突然消えてしまった彼女と隆中で再会して。
 ………いや、正確にはあの時の彼女は、ボクの知る彼女ではなかったんだけど。
 『彼女はいつか自分の在るべき場所―――故郷に帰ってしまう人だ』
 憧れ続けてようやく再会できた喜びを噛みしめるより先に、ボクは絶望を知った。

 子どもの夢は大きいもので。
 知識と経験を得たら、いつか彼女の隣に立てるかもしれない。
 彼女に頼りにされるような大人になれるかもしれない。
 彼女が“師匠”と言って慕っていた誰かよりも立派になれるかもしれない。
 そうしたら彼女と生涯を共に出来るかもしれない、と。
 膨らませてしまった未来像だってあったりしたのだ。
 一緒に居た期間が短かっただけに、幻滅する理由もなく希望だけは大きくなって。

 『すみません、ボクには心に決めた人が居るので』

 縁談を断る口実に軽い気持ちで言った言葉が、少しずつ、確実に本心になっていった自覚もあった。
 けれど、再会した彼女と共に在る未来は無くなってしまった。
 君との距離はこんなに近いのに、ボクたちの道はいつか2つに分かれてしまう。
 でも、彼女の幸せを思うからこそ、ボクの夢は叶えないと決めた。
 『叶わない』じゃなく『叶えない』と決めたんだ。
 ―――消え残る想いを封じ込めるために『ボクの憧れた彼女はここには居ない』と思い込んだ。

 それでも、せめて一緒に居る間は……と思う気持ちさえ無くした訳でもなくて。
 到底、無くせるはずもなくて。

 弟子の淹れたお茶を飲みながら談笑する。
 他の誰と過ごすのでもなく、ボクだけと一緒に居る時間を作る。
 からかって怒らせて、我儘を言って困らせて、冗談めかして触れて。
 彼女の喜怒哀楽をひとつでも多く記憶に残そうとする。
 盛大に師匠の特権を使って―――机に向かっていればこなせたはずの仕事を放ってまで、この僅かな時を捻り出しているボクの苦労を彼女は知る由もない。

 その無垢さも彼女が人を惹きつける理由のひとつだろうとは思うんだけど。
 魅力とも美点とも言える部分を傍で見せられるのは、正直、胸が痛い。
 これ以上、惹かれたら手放せないかもしれないと思うから、進めない気持ちを抑えるのがつらい。

 「まったくこの子は、師匠の気も知らないで」

 こつん、と人差し指で彼女のおでこを軽く小突く。
 触れた指先に体温を感じているボクが、震えそうになるのを必死に隠しているなんて、彼女は想像もしないだろう。
 ………そんな想像、された方が困るんだけど。

 「急に何するんですか、師匠」
 「忙しい師匠に無駄な時間を過ごさせたから、お仕置き」
 「えー、ひどいです、師匠」
 「さぁ、早く食べ終わらせて、仕事しなきゃねー」

 『訳が分からない』という顔をしている弟子に作り笑いを返しながら、饅頭をひとつ手に取った。
 芙蓉姫の作った辛い味付けが鼻をつく。
 目に染みた涙が別の意味を持つ前に―――冷めかけた彼女の淹れたお茶を慌てて啜った。
 


END



2015/04/28up : 春宵