■傍に、いるよ

傍に、いる――傍に、いるよ。
もう二度と、そんな言葉を信じない。
大切だと思う存在を天秤に掛けて選んだ結果、この手には何も残らなかったのだから。

TYBに出場したのは、恭平の言葉を否定したかったから。
強さを証明したかったからだ。
そのTYBでプリンセスのチヒロと出会って――色々あって、大切な存在だと気付いた。
だが、彼女は世界を滅ぼす殺人ウイルスで、そして――捜していた恭平がそのウイルスを駆除するワクチンだった。
殺人鬼と呼ばれている事に納得出来なくて。
それもそうだろう。
青少年の更生が趣味みたいな奴が殺人鬼だなんて、あり得ない。
だから、最初見た時には信じられなかったし、納得なんて出来るはずもなかった。
だが、恭平がワクチンで殺人鬼なのは事実で、チヒロがウイルスなのもまた事実だった。
どっちを守ればいいのか――正直分からなかった。
出来る事ならば、両方守りたい。
だが、チヒロの中のワクチンの覚醒はもう最終段階に入っていて、両方を守りたいと思っても、出来なかった。
時間がなかったのだ。

「俺は、どっちを守ればいいんだよ」

そう悩んだ結果、出た結論は――。

眠っているチヒロを残し、考える為に外に出ていたイエスの目に、辺りを見渡し出て行くチヒロの姿が映る。
その様子から、チヒロが恭平に殺される為に行くんだろうと言う事は容易に想像がついた。
止めたいという思いをどうにか抑え込んで、気付かないふりをする。
痛みと苦しみと、それがどこから来るのか何が原因なのかも分からずに。
恭平の元へと向かうチヒロを止めたいと言う衝動を抑え込む。
ずっと捜していたのだ、恭平が居なくなってからずっと。
一人でずっと捜していて、やっと見つかった。
やっと見つけた存在を、諦める事など出来なかった。
だから、痛みと苦しみに気付かない振りをして、チヒロが恭平の元へと行くのを見逃したのだ。
けれど、痛みと苦しみを完全に無視することも、衝動を完全に抑え込む事も出来ずに。
逡巡したのちチヒロの後を追う。
この六日間で慣れ親しんだ気配を辿ることは、それほど難しくはなかった。

辿り着いた先では、チヒロと恭平が対峙していて。
恭平がチヒロに襲い掛かるのが見える。
咄嗟に止めようと踏み出して――けれど、間に合うはずがなかった。
倒れ込むチヒロを思わず抱き留める。
腕の中の存在はまだ温かくて――イエスの姿を見て儚げに笑う。
痛くて苦しくて、けれどもうどうすることも出来なかった。
自分で選んだ結果だろうと、言い聞かせる。
失いたくないと今更思っても遅いのだ。

「イエスくん、ごめんね」

傍に居てあげられなくて――腕の中で、そう言って微笑んで、目を閉じる。
何故謝るのか。
謝らなければいけないのはむしろ俺の方だ。
チヒロが恭平に殺されに行くと分かっていて、見て見ぬふりをした。
やっと見つけた恭平を諦めきれなくて、チヒロを見殺しにした。
なのに何故謝る。
腕の中、完全に息絶えた存在を、思わず抱きしめる。
何故そうしたのかも、分からなかった。
ただ、痛みと苦しみと衝動に突き動かされて、そうせずにはいられなかったのだ。
訳の分からない感情に、苛立ちが募る。

「ああ、何もかもぶっ壊してぇ」

思わず呟いたイエスの耳に、聞きなれた声が届いた。

「……イエス、俺、は……」

声のした方へと視線を向ければ、正気に戻ったらしい恭平がそこに居た。
殺人鬼と呼ばれていた時の外見ではなく、イエスの良く知る恭平だった。
何故戻ったのかなんて、分からない。
けれど、そんな事はどうでも良かった。
望んでいた存在が確かにそこにあるのに、腕の中、既に息絶えている存在を手放すことが出来ない。
呆然とそんなイエスを見つめる恭平。
重苦しい沈黙を破ったのは、恭平だった。

「……俺が、その娘を……殺したんだな」
「こいつはウイルスで、テメェはワクチンだったんだ。……仕方ねぇだろ」
「彼女を助ける方法はあったんだ。なのに、どうして」
「代りに、テメェが死ねば良かったってか。……ふざけるな」
「イエス」
「俺が選んでやったんだ。俺が選んだ結果なんだよ」
「お前、分かってるんだろ。その娘がお前にとってどれだけ大切な存在なのか。俺は、その娘にお前の傍に居てほしかった。そう願ってた。ずっと見てたんだ、お前とその娘を、ずっと……なのに、何故」

それにイエスが言い返そうとした瞬間、車が止まる音がして、悠斗がその場へと現れた。

「なるほど。こういう結果になりましたか……。プリンセスを助けられなかった事は残念ですが、世界は救われた訳ですね」

まあ、助ける方法も分からなかったんですけどね。
そう言って、悠斗は自嘲気味に笑う。
ウイルスであった彼女が不老不死の存在となったのと同じように、ワクチンであった恭平にも、普通の人間では傷一つつける事は出来なかったのだ。
唯一ワクチンであった恭平に傷を負わせられただろう存在は、イエスの腕の中既に息絶えていて。
どちらにしろ、ウイルスの覚醒が最終段階に入っていた状態のチヒロでは、恭平と戦うだけの体力もなかった。
だからそう、予想出来た結末ではあったのだ。

後は任せて下さい、と言う悠斗の言葉に、取り敢えずイエスも恭平も従う。
既に息絶えているチヒロを連れて、悠斗は去って行った。
結局この件が明るみに出る事はなかった。
ウイルスだのワクチンだの、そんな話は一切表に出ず、都内に出没していた殺人鬼の話題も、いつの間にか消えていた。
TYBも、TYBの影で起こっていた事件も、何事もなかったかのように、日常が戻ってきていた。

日常が戻ってきて一か月程経ったある日。
TYB以来、恭平は以前のように青少年を更生させるべく動く事はなくなっていた。
イエスがねぐらにしているVANQUISH(ヴァンキッシュ)に居る事が多いが、ふらりとどこかへと出かけて戻ってこない事もある。
最初に恭平がふらりと居なくなったときは、またか、と思い捜したが、大抵2、3日で戻ってくるので最近は捜さなくなっていた。
そんな時だ。
恭平がふらりと居なくなってから数日が経過していた。
いつもならば、居なくなっても2、3日で戻ってくるはずの恭平が戻ってこない。
可笑しいと思い捜しに行こうとした途端、犬が何か白いものを咥えてイエスの元へと来る。
咥えている白い紙を受け取り開けば、それは、恭平からの手紙だった。

どうやら恭平は、殺人鬼と呼ばれいた時の事も覚えているらしく。
無関係の女子高生を何人も殺してしまったことに罪悪感を感じているようだった。
けれど何よりも――。

イエスが大切に想う存在をこの手に掛けて、その罪を背負ってこれ以上生きてはいけない。


そんな一文から始まる恭平からの手紙は、別れの手紙だった。
さよなら、そんな言葉で締めくくられたそれをしばらく呆然と眺める。

「――ふざけるな! なんだよ、どういうことだよ」

手近な壁を思いっきり殴りつける。
だがそうしたところで苛立ちが紛れるはずもなかった。
壁を殴り、グラスを壊し、そうして暴れてみても、気分は晴れない。
浮かぶ感情がどういうものなのかも分からずに、だから、この感情をどうすればいいのかも分からない。
しばらく考えて、捜しに行くために外へと出た。
あちこち捜し回る。
けれど、別れの手紙を残すくらいだ。
簡単に見つかる訳もない。
それでも諦めきれずに――それもそうだろう。
あの時俺は、あいつを見殺しにして、そうして恭平を……助けたはずだった。
それなのに、何故こんなことになった。
走って走って、捜して捜して。
けれど、見つかるはずもなく。
途方に暮れる。
何日かそんな事を繰り返して、そして――理解する。
もう二度と、恭平には会えないのだろう、と。
以前恭平が居なくなった時は、手紙を残すこともなかったし、何か言って行った訳でもなかった。
だから、捜し続ける事も出来た。
だが今回は、手紙が残されている。
どこか遠くへ行ったのか、それとももう、居ないのか。
分からないが、恭平は二度とイエスに会うつもりがないのだろう。
ならばきっともう、無理だ。
捜すだけ無駄だろう。

どこで間違えたのか。
どうすれば良かったのか。

そんな事今更思っても、どうしようもない。
ずっと一人で生きて来ただろう。
以前の状態に戻っただけだ。
何も――変わらない。
そしてこれからも、変わらない。

傍にいるよ――傍にいる。
そんな言葉、二度と信じない。
信じた俺が、バカだっただけだ。

「ホント、バカみてぇだな」

自嘲気味に呟いて、空を仰ぐ。
良く恭平に連れてこられた公園の片隅で、空を見上げたまま立ち尽くす。
以前に戻るだけだと、一人で生きて行けばいいだけだと。
恭平に出会う前と何も変わらないのだと。
そう言い聞かせて、人と繋がることを諦める。
何もかも、全てを拒絶する気配を纏って、そうしてイエスは歩き出す。
以前のような日常へと向かって――。



END



2013/03/07up : 紅希