■約束の場所

時間を確認し、まだ大丈夫だなと思う。
仕事が休みの今日、彼女は学校で、終わり次第僕の家まで来ることになっている。
だからそれまでには帰らなければならないが、まだ時間はある。
時間を持て余したという訳でもないが、彼女と再会したこの場所へと来ていた。
この場所へと来た事に、理由がある訳じゃない。
ただ、なんとなく、だ。
多分、過去の江戸での出来事を思い出したからだろう。
江戸時代のこの場所で未来の彼女への贈り物を埋めた時には、まだこの木は本当に小さかったのに、今ではもう見上げなければならない程の大木になっている。
あの時からそれだけの年月が流れたと言う事だ。

「まあ、実感はないんだけど」

独り呟いて、苦笑する。
実感なんてなかった。
あの頃の僕は、自分がもうそれ程長くない事は分かっていたし。
だからこそ、残り少ない命を、彼女の為に使おうとも思っていたから。
そしてそれを、実行した。
あの時僕の命は尽き、消えたはずだった。
けれど今こうしてここに居る。
全く想像していなかった未来に最初は戸惑いもした。
今は随分と慣れて来たけれど、最初はこれが都合のいい夢なんじゃないかと何度も思った。

あの頃の僕は、彼女に何一つ、未来を約束してあげられなかった。
あの時もそうだ。
江戸でこの場所に、未来の七緒への贈り物として櫛を埋めたあの時も。
いつか一緒に掘り起こそうと言う約束さえ、してあげられなかったのだ。
いつ掘り起こすかという彼女の質問に、君が必要と思った時にと返した時の彼女の顔は忘れられない。
どうして? と問うあの顔は、今でも鮮明に思い出す事が出来る。
それに答えてあげることもまた、出来なかった。
あの時彼女は、10年後に一緒に掘り起こそうとか、そういう具体的な答えを期待したのだろう。
一緒に、という言葉も。
けれどあの頃の僕は、それが叶わないと知っていたから、たとえそれが一週間後くらいの僅か先の未来でさえも約束は出来なかった。
――本当は、一緒に、と約束したかったのだけれど。
彼女がそれを望んでいると分かっていたからこそ尚更、約束してあげたかった。
そのことを彼女に伝えたことはないし、伝えるつもりもない。
彼女も今はもう、分かっていると思うから。

神使だったころの事を思い出して以来、江戸での日々を忘れたこと等ない。
ただ、時々今日のように、あの日々の中のある出来事を、強烈に思い出すことがある。
まあ、彼女に関する出来事が殆どなのだけれど。
そうして家に居る事も出来ずに、こうしてここまで来てしまったのだ。
大木を見上げて、思う。
想像もしなかった、彼女が隣に在る未来。
それが確かに今あるのだと、改めて思っていた。
だから今ならば、彼女に未来を約束してあげられる。
それなのに、そういう言葉は未だに口にするのに少しだけ躊躇ってしまう。
あの時出来なかった約束を、いつかこの場所で――そう思った途端に、近づいてくる足音に気付く。
そちらへと視線を向ければ、小走りに近づいてくる彼女の姿があった。
もうそんな時間かと思い時間を確認すれば、約束の時間まではまだ少しある。
どうやら彼女もこの場所に倉間が居ると思っていなかったらしく、立ち止まり驚いた様子で見ていた。

「楓さん?」

近づいて来ながら驚いたように名を呼ぶ彼女を見て言葉を紡ぐ。

「どうしたの? ここになにか用事?」
「用があるって訳じゃないんですけど、約束の時間まで少しあったので、寄ってみただけです。それより、楓さんはどうしてここに?」
「うーん、なんとなく、かなあ」

出来るだけ軽い口調で、何でもないように言う。
江戸に居た頃から当たり前にやってきた事だ。
けれどどうやら彼女にはそろそろそれも通用しなくなってきているようで。
無言でしばらく倉間を眺めていた彼女が、心配そうな顔になる。

「何かあったんですか?」

心配そうにそう問われて、苦笑する。
小さく溜息を吐き出して、言葉を紡いだ。

「何かあったって訳じゃないんだ。ただ、ここに二人で櫛を埋めた時の事を思い出して、ね」
「……あの時、楓さんは埋めた櫛を一緒に掘ろうって言ってくれなくて、何でだろうって思ってました」
「うん。どうして? って顔に書いてあった」
「気付いてたんですか」
「君は分かり易いからね。ごめんね、約束してあげられなくて」
「いいんです。分かってますから。でも、あの時だけじゃなくて、ずっと違和感があったんです。楓さんの言葉に、ずっと」
「うん」
「その違和感が何なのかずっと分からなくて。でも……」

そう言ってしばらく七緒は黙り込む。
じっと倉間を見つめて、意を決したように言葉を紡いだ。

「あの頃、楓さんは先の事を話すときいつも、そこに自分の姿がないように言うんです。そうはっきり分かるようには言わないんですけど、でもずっと違和感があって。それに気付いたのはこっちに帰って来てからだったんですけど」
「うん、そうだったね」

ごめんね、と謝れば、いいんです、と彼女は答える。
まだ何か言いたそうにしている彼女の言葉を、待つことにした。

「今も……」
「うん?」
「今も楓さんは、あまり先の事を言わないですよね」
「ああ、うん。そう、かな」

そう答えれば彼女はそれ以上何も言わずに、けれど不安気な顔で倉間を見つめる。
ああ、不安なのかとそこで初めて気付いた。
また突然消えるんじゃないかと、不安にさせているんだろう。
もうそんな事がない事は、彼女も分かっているんだろうけれど、でも、こちらへと彼女を帰した時、恐らくは消えていく倉間の姿を彼女は見てただろうから。
あんなのを見てしまっては、不安にもなるだろう。
何よりも大切に想う女の子を不安にさせるなんて、良い訳がない。
多少の躊躇いはあるが、彼女の不安を少しでも和らげることが出来るのなら。
今度こそこの場所で、未来の約束を――。

「大丈夫、ずっと傍に居るよ。君が僕に愛想を尽かさない限りは、ね」
「愛想を尽かすなんて、あるわけないじゃないですか!」
「それなら、ずっと一緒だね。これから先、ずっと」

そう言って彼女を抱き寄せる。
ここが外だと言う事もあり、腕の中の彼女は僅かに抵抗するが、それに気付かない振りをしていればやがてそれもなくなる。
腕の中に確かにある温もりが、未来を信じさせてくれた。

あの時出来なかった約束を、この場所で――。
いつか、この約束の場所へとまた一緒に来ようと、そう思っていた。



END



2014/02/08up : 紅希