■迷いの森
「―――これで良し、と」
魔法舎の庭と外周を一通り見回り終えて息を吐いた。
ヒースが暮らす場所の周囲を確認するのは毎日の事だけど、今日は早めに取りかかって正解だった。
昨夜はずっと強めの風が吹いていたから、予想通り外は荒れ放題。
飛ばされてきた物や折れた枝なんかが散乱していて、片付けるのに手間がかかった。
異変なんて何も無いに越したことはないんだが。
放っておけばヒースやヒースの仲間が怪我をしたかもしれない災いを、オレが退けてやった。
そう考えれば、少し気分が良い。
「おはよう。朝早くからご苦労さん」
見回り中からグーグー鳴ってた空きっ腹に何か入れようと思って食堂に来ると、ネロに声を掛けられた。
『店で出すわけでもあるまいし、そんなに凝った料理なんか作んないよ』
普段そんな風に言うわりに、この料理人はオレに負けず劣らす朝早く起き出して朝食の支度をする。
まだ他のヤツらが起き出す気配も無いのに、厨房からは美味そうな匂いが漂って来ていた。
「朝早くからってのは、あんたも一緒だろ」
「まあな」
頷きながら、ネロはオレの座ったテーブルに手際よく朝食を準備していく。
最後に置かれた皿にレモンパイが載ってるのを見て、思わず目を見開いた。
ひと仕事終えた後の朝食に好物が出て来るなんて、今日は運が良い。
「今日はいつにも増して外の手入れも大変だったろ。お疲れさん」
「別に大変だなんて思ってない。ヒースを守るために必要だからしているだけだ」
「あー、はいはい。じゃあ、俺が食いたくて作ったのをお前にもお裾分けってことで」
他人に関わりたくない。面倒事は御免だ。
いかにも東の国のヤツらしい態度をとってるくせに、オレを労うように好物を出してくれたりする。
オレが同じ国出身の魔法使いだから……ってだけじゃなく、普通に面倒見のいいヤツなんだろう。
ヒースがブランシェット城から離れて他の魔法使いと一緒に暮らし始めた時、またヒースを狙うヤツが居るかもしれないと思って心配だった。
オレ達は師だった魔法使いに騙されて石にされかけた。
賢者の魔法使いに選ばれた中にも、ヒースの力を奪おうとするヤツが居ないとも限らないと思ったからだ。
けど、オレも後から選ばれて魔法舎に来てみれば、ネロみたいに面倒見のいいヤツも居る。
善人ばかりってわけでもないらしいが、ヒースも居心地が良いみたいで少し安心した。
―――何よりオレがヒースの傍に来たからには、害をもたらすようなことなんて絶対にさせない。
「おはよう、シノ」
ちょうどヒースの顔を思い浮かべながらレモンパイを頬張っていたところに、本人が歩いてきた。
真っ直ぐオレの方に向かって来て、右手に持った手紙を差し出してくる。
「母さんからシノに渡して欲しいって、手紙を預かったんだ」
「奥様から?」
「昨日魔法舎に戻ったのが遅かったから、渡すのが今日になった。ごめん」
「っ!」
ヒースの手から奪うように手紙を取って白い封書を見ると、見慣れた奥様の字でオレの名前が書いてある。
腰のナイフで丁寧に蝋封を開けると、微かな薔薇の匂いが鼻を掠めた。
奥様は庭に薔薇が咲くと必ず匂い袋を作って身に着けている。
ついこの間、ブランシェット家の依頼を受けて会ったばかりなのに、その香りさえ懐かしく感じて息を吸い込んだ。
『シノ、先日はシャーウッドの森の怪異を鎮めてくれてありがとう』
『ヒースクリフから、あなたがとても頑張ってくれたと聞いて改めてお礼を言いたくて手紙を書きました』
小間使いのオレにも優しい口調で接して下さる奥様らしい手紙に口元が緩む。
ヒースが城から帰る間際に急いで書いたものらしいから、そんなに長い文章でもなかったけど。
旦那様もオレの活躍を喜んでくれたことや、これからもヒースをよろしくといった言葉が書かれていた。
読み終わった手紙を元通りに畳んで、丁寧に封筒に戻す。
間違っても失くすことがないように大事に懐にしまい込んだ。
レモンパイに奥様からの礼状。
今日は良いことが続く日だ。
「母さん、何だって?」
「この前の依頼の礼状だ。ヒースが奥様達に話してきたんだろ」
「もっと聞かせて、ってせがまれたんだよ」
「奥様らしいな。いつも通り、これからもヒースをよろしくとも書いてあった」
「……そう」
嬉しそうに奥様の話をしていたヒースの表情が急に曇る。
……またか。
良いことが続いて良かったオレの気分まで、ヒースにつられて下を向く。
この話題になると、ヒースはいつもそうだ。
昔、師と仰いでいた悪い魔法使いに騙されて、オレ達はお互いを守るという『約束』を交わしている。
魔法使いの『約束』は特別なもので、破れば魔力を失う呪いのようなものだ。
その約束があるから、仕方なくこんな自分を主として仕えている。
『約束』自体も、ブランシェット家が雇った魔法使いのせいで交わさせられたものだ。
だから、オレがヒースに仕え続けなきゃいけないのは自分のせいだ。
ヒースは相変わらずそんな風に思っているんだろう。
孤児だったオレは、ブランシェット家に小間使いとして拾われたことに感謝してる。
それまでは何をするにも自分だけのためにやっていたことで、他に意味も無かったけど。
ブランシェット家の旦那様、奥様、そしてその子息のヒースのために生きるという意味が出来た。
よろしくなんて改めて頼まれなくても……
あの悪い魔法使い―――じじいに騙されて『約束』をしてしまう羽目にならなくても……
オレはブランシェット家のために、ヒースのために、生きるつもりだったのに。
何度伝えても、ヒースにオレのこの想いは響かない。
―――けど、響かないなら響くようになるまでオレは強くなる。
ヒースは顔もいいし、魔法の力も強い。
強力な攻撃魔法を得意としているわけじゃないから解り辛いけど。
より集中力の必要となる細かい作業が得意で、精巧な魔道具を作らせたら誰にも負けない。
けど、自分に自信が持てなくて、極度の人見知りで、自分の力の生かし所を知らない。
まるでシャーウッドの森を出る道を探せないみたいに。
もしかしたら、迷いの森を出るつもりが無いのかもしれないけど。
オレは森の番人で、迷わせるべきじゃない相手を絶対に迷わせたままになんてしない。
ヒースがオレを凄いと思ってくれて。
その凄いオレが選んだ主であるヒース自身を誇りに思える。
一日でも早くそんな日が来るように、オレは今朝みたいにコツコツとヒースの居場所を守りつづける。
少しでも早く迷いの森から出られるように、森の番人であるオレがヒースの通るための道を作る。
たまに面倒見のいい料理人が、レモンパイを食わせてくれたりもするし……な。
「今日は、ヒースのおかげでレモンパイが食えた」
「え? 急に何の話?」
「だから、今日は一日、ヒースは自分を誇っていいぞ」
「え??? ごめんシノ、全然話が見えないんだけど……」
面食らっているヒースを食堂に残して、オレは次の日課に取りかかった。
迷いの森の番人のオレがするべきことは、今日も山積みだ。
END
魔法舎の庭と外周を一通り見回り終えて息を吐いた。
ヒースが暮らす場所の周囲を確認するのは毎日の事だけど、今日は早めに取りかかって正解だった。
昨夜はずっと強めの風が吹いていたから、予想通り外は荒れ放題。
飛ばされてきた物や折れた枝なんかが散乱していて、片付けるのに手間がかかった。
異変なんて何も無いに越したことはないんだが。
放っておけばヒースやヒースの仲間が怪我をしたかもしれない災いを、オレが退けてやった。
そう考えれば、少し気分が良い。
「おはよう。朝早くからご苦労さん」
見回り中からグーグー鳴ってた空きっ腹に何か入れようと思って食堂に来ると、ネロに声を掛けられた。
『店で出すわけでもあるまいし、そんなに凝った料理なんか作んないよ』
普段そんな風に言うわりに、この料理人はオレに負けず劣らす朝早く起き出して朝食の支度をする。
まだ他のヤツらが起き出す気配も無いのに、厨房からは美味そうな匂いが漂って来ていた。
「朝早くからってのは、あんたも一緒だろ」
「まあな」
頷きながら、ネロはオレの座ったテーブルに手際よく朝食を準備していく。
最後に置かれた皿にレモンパイが載ってるのを見て、思わず目を見開いた。
ひと仕事終えた後の朝食に好物が出て来るなんて、今日は運が良い。
「今日はいつにも増して外の手入れも大変だったろ。お疲れさん」
「別に大変だなんて思ってない。ヒースを守るために必要だからしているだけだ」
「あー、はいはい。じゃあ、俺が食いたくて作ったのをお前にもお裾分けってことで」
他人に関わりたくない。面倒事は御免だ。
いかにも東の国のヤツらしい態度をとってるくせに、オレを労うように好物を出してくれたりする。
オレが同じ国出身の魔法使いだから……ってだけじゃなく、普通に面倒見のいいヤツなんだろう。
ヒースがブランシェット城から離れて他の魔法使いと一緒に暮らし始めた時、またヒースを狙うヤツが居るかもしれないと思って心配だった。
オレ達は師だった魔法使いに騙されて石にされかけた。
賢者の魔法使いに選ばれた中にも、ヒースの力を奪おうとするヤツが居ないとも限らないと思ったからだ。
けど、オレも後から選ばれて魔法舎に来てみれば、ネロみたいに面倒見のいいヤツも居る。
善人ばかりってわけでもないらしいが、ヒースも居心地が良いみたいで少し安心した。
―――何よりオレがヒースの傍に来たからには、害をもたらすようなことなんて絶対にさせない。
「おはよう、シノ」
ちょうどヒースの顔を思い浮かべながらレモンパイを頬張っていたところに、本人が歩いてきた。
真っ直ぐオレの方に向かって来て、右手に持った手紙を差し出してくる。
「母さんからシノに渡して欲しいって、手紙を預かったんだ」
「奥様から?」
「昨日魔法舎に戻ったのが遅かったから、渡すのが今日になった。ごめん」
「っ!」
ヒースの手から奪うように手紙を取って白い封書を見ると、見慣れた奥様の字でオレの名前が書いてある。
腰のナイフで丁寧に蝋封を開けると、微かな薔薇の匂いが鼻を掠めた。
奥様は庭に薔薇が咲くと必ず匂い袋を作って身に着けている。
ついこの間、ブランシェット家の依頼を受けて会ったばかりなのに、その香りさえ懐かしく感じて息を吸い込んだ。
『シノ、先日はシャーウッドの森の怪異を鎮めてくれてありがとう』
『ヒースクリフから、あなたがとても頑張ってくれたと聞いて改めてお礼を言いたくて手紙を書きました』
小間使いのオレにも優しい口調で接して下さる奥様らしい手紙に口元が緩む。
ヒースが城から帰る間際に急いで書いたものらしいから、そんなに長い文章でもなかったけど。
旦那様もオレの活躍を喜んでくれたことや、これからもヒースをよろしくといった言葉が書かれていた。
読み終わった手紙を元通りに畳んで、丁寧に封筒に戻す。
間違っても失くすことがないように大事に懐にしまい込んだ。
レモンパイに奥様からの礼状。
今日は良いことが続く日だ。
「母さん、何だって?」
「この前の依頼の礼状だ。ヒースが奥様達に話してきたんだろ」
「もっと聞かせて、ってせがまれたんだよ」
「奥様らしいな。いつも通り、これからもヒースをよろしくとも書いてあった」
「……そう」
嬉しそうに奥様の話をしていたヒースの表情が急に曇る。
……またか。
良いことが続いて良かったオレの気分まで、ヒースにつられて下を向く。
この話題になると、ヒースはいつもそうだ。
昔、師と仰いでいた悪い魔法使いに騙されて、オレ達はお互いを守るという『約束』を交わしている。
魔法使いの『約束』は特別なもので、破れば魔力を失う呪いのようなものだ。
その約束があるから、仕方なくこんな自分を主として仕えている。
『約束』自体も、ブランシェット家が雇った魔法使いのせいで交わさせられたものだ。
だから、オレがヒースに仕え続けなきゃいけないのは自分のせいだ。
ヒースは相変わらずそんな風に思っているんだろう。
孤児だったオレは、ブランシェット家に小間使いとして拾われたことに感謝してる。
それまでは何をするにも自分だけのためにやっていたことで、他に意味も無かったけど。
ブランシェット家の旦那様、奥様、そしてその子息のヒースのために生きるという意味が出来た。
よろしくなんて改めて頼まれなくても……
あの悪い魔法使い―――じじいに騙されて『約束』をしてしまう羽目にならなくても……
オレはブランシェット家のために、ヒースのために、生きるつもりだったのに。
何度伝えても、ヒースにオレのこの想いは響かない。
―――けど、響かないなら響くようになるまでオレは強くなる。
ヒースは顔もいいし、魔法の力も強い。
強力な攻撃魔法を得意としているわけじゃないから解り辛いけど。
より集中力の必要となる細かい作業が得意で、精巧な魔道具を作らせたら誰にも負けない。
けど、自分に自信が持てなくて、極度の人見知りで、自分の力の生かし所を知らない。
まるでシャーウッドの森を出る道を探せないみたいに。
もしかしたら、迷いの森を出るつもりが無いのかもしれないけど。
オレは森の番人で、迷わせるべきじゃない相手を絶対に迷わせたままになんてしない。
ヒースがオレを凄いと思ってくれて。
その凄いオレが選んだ主であるヒース自身を誇りに思える。
一日でも早くそんな日が来るように、オレは今朝みたいにコツコツとヒースの居場所を守りつづける。
少しでも早く迷いの森から出られるように、森の番人であるオレがヒースの通るための道を作る。
たまに面倒見のいい料理人が、レモンパイを食わせてくれたりもするし……な。
「今日は、ヒースのおかげでレモンパイが食えた」
「え? 急に何の話?」
「だから、今日は一日、ヒースは自分を誇っていいぞ」
「え??? ごめんシノ、全然話が見えないんだけど……」
面食らっているヒースを食堂に残して、オレは次の日課に取りかかった。
迷いの森の番人のオレがするべきことは、今日も山積みだ。
END
2022/05/10up : 春宵