■刹那の夢

学校からの帰り道、立ち止まり、空を見上げる。
”東京封鎖”
一部の人からそんな風に呼ばれていたあの7日間――正確には8日間だが――が終わって数日が過ぎようとしていた。
あの出来事は全部夢だったんじゃないかと思ってしまう程、以前と変わらない日常。
不気味な色をしていた空さえもが、何事もなかったかのように元通りに戻っていた。
ただ一つ、あいつが居ない事を除いて。

東京封鎖以前と変わらない日常を送っていると、本当にあの日々が夢だったんじゃないかと思える。
悪魔を召喚したことも、悪魔と戦ったことも。
あいつが、魔王になってしまったことも。
全部何もかも、刹那の夢だったんじゃないか、と。
そんな事を思い、アツロウは携帯電話を取り出す。
アドレス帳からあいつの名前を呼び出して、そして電話を掛けてみる。
だが――。

実はアツロウが電話を掛けるのは今日が初めてじゃない。
全てが終わり、あいつが魔界へと行ってしまった翌日から、今日こそは繋がるんじゃないかと、そんな事を思いもう何度も電話をしていた。
だがその度に、機械的な音声が聞こえて来て、電話が繋がることはない。
そしてあの日々が夢ではなく現実なのだと思い知るのだ。
分かっている、そんな事は。
改造COMP(コンプ)を手に契約した悪魔を呼び出し、何度も何度も戦ったのだから。
その時の感触も、恐怖も覚えている。
でもだからこそ分からなくなるのだ。
あいつ一人の犠牲で取り戻した日常。
それがあまりにも以前と変わりがないから、分からなくなる。
自分達が生き残る為に必死に戦った事も。
向けられた殺意も。
天使や悪魔と言った存在も。
何もかも、自分で体験しなければ現実だなんて信じられない事ばかりなのだから、尚更なのかもしれない。

天使――神。
元々神なんて存在を信じていた訳じゃない。
けれどそれでも、何かあれば神だのみだなんて、信じていなくてもすることはあった。
だがもう二度と、神だのみなんてすることはないだろう。
それに意味がないことを、良く知っているから。

人間の自主性を尊重するだの、人間が自分達で撒いた種なのだから自分達で刈り取れだの。
それだけを聞いていれば正当な言い分に聞こえるが、とんでもないと思う。
神の試練だのなんだの言い、無関係な人達までも山手線の内側に閉じ込め。
神の望む結末を出せなければ、全員を殺すつもりだったのだから。
しかも、封鎖が解除されない原因を、魔王になったあいつのせいにし、あいつの存在のせいで封鎖は解除されないのだと天使が宣言したのだ。
それ以前に、魔王になり悪魔を制御出来たら封鎖を解除すると、政府と交渉してあったにも関わらず、だ。
だからこそあいつは魔王になるという決断をしたと言うのに。
魔王になり、悪魔達に魔界へと帰るように命じ、悪魔達は東京から消えたにも関わらず、封鎖が解かれることはなかった。
そのせいであいつは、助けた人達に「自分達の為に死んでくれ」なんて言われる羽目になった。
正直あれは、堪えた。
言葉自体はあいつに向けられたものでも、一緒にいる俺達にだって無関係な訳ではないのだから。
悲しかったし、怒りも覚えた。
誰のお陰で助かったと思ってんだよ! と叫びそうになったのは一度や二度じゃない。
自分達で何とかしろと、そう言うだけで助けようとしてくれなかった天使達と違い、あいつは皆を助ける為に、封鎖を解除する為に魔王なんてものになったのだから。
最初は自分達の余命を伸ばす為に、戦っていただけだった。
けれど、その結果魔王争いに巻き込まれ――魔王になることで悪魔を制御出来ると知り、決断したのだ。
そしてあいつは今、魔界に居る。
魔王としての責務を果たす為に、たった一人で行ってしまったのだ。
全てが終われば帰ってくるらしいが、それがいつになるのかも分からない。
アツロウに出来るのは、帰ってくるのを待っている事だけだ。

実際に体験しなければ現実だとはとても思えないあの日々。
その中でも強烈に思い出すのは、やはり8日目の出来事だ。
自分達の為に死んでくれと、そう言われ憤るアツロウを宥めたのは他でもないあいつだった。

「なんで止めるんだよ! お前あんなこと言われて平気なのかよ。お前は皆を助ける為に……!」
「俺が魔王になったのは、事実だから」
「だから、それは」
「封鎖を解きたかったのは本当だけど、皆の為にじゃない」
「……」
「アツロウやユズ、仲間の為に封鎖を解きたかっただけだから」

皆の為じゃないのだから仕方ないと、普段と変わらない口調で言ったあいつを思い出す。
確かにあいつは、俺やユズの為に封鎖を解きたかったのかもしれない。
けれど結果的にそれが皆を助けたのは事実なのだ。
あいつが魔王になり悪魔達を制御しなければ、皆殺されていたのだ。
封鎖の内側に居る人間は、悪魔なんてものに関わっていようがいまいが関係なく、全員殺されるはずだったのだから。
最終決断と呼ばれていたそれを回避する方法は、悪魔という存在をどうにかする以外になかったのだ。
消すか制御するか。
その為に動いていたのはアツロウ達だけで、他の人達は誰かが何とかしてくれるのを待っていただけだ。
自暴自棄になり、他人を襲う者達も何人もいた。
それらを止め、情報を集め、最終決断をさせないために政府と交渉したりと。
そうやって動いていたのはアツロウ達だけだったのだから。
だからこそ、怒りの感情は強かった。
あいつの犠牲のお陰で最終決断を免れたと言うのに、何も知らず何もせず、それでいて「自分達の為に死ね」と言う奴等に心底呆れ、憤った。
当事者であるあいつが怒らなかったからこそ、余計に怒りの感情は強かったように思う。

天使の言葉を信じ襲ってきた人達に対しても、あいつの指示は、「人間には手を出すな」だった。
死んでくれと言われ、実際に襲われ、それでもあいつは一度もその人達に手を出すことはしなかった。
言い返すこともなく、傍から見れば普段と変わらなかった。
そう言えばあの8日の間、一度だってあいつは弱音を吐くことはなかったなと思い出す。
あいつだけは、あんなことがある前と何も、変わらなかった。
――そう、見せていただけかもしれないが。
しかもあいつは、最後の最後、魔界へと行く直前にアツロウに「ありがとう」と言ったのだ。
何の事かと思えば、「アツロウだけは、ずっと一緒に居てくれたから」と、それだけ言って一人魔界へと行ってしまった。

あいつがナオヤさんの提案を受け入れると知った仲間達は、アツロウ以外皆一度離脱した。
ユズとミドリちゃんは後から戻って来たけれど。
ずっと一緒に戦って来た仲間達は、アツロウ以外一時的とはいえ離脱してしまったのだ。
――あいつがどんな決断をしようと、最後まで一緒に行こう。
そうアツロウは決めていたから。
だから一緒に居た。それだけなのだ。
まあ、ケイスケがあの決断を受け入れられるとは思っていない。
ミドリちゃんも無理だろうなと思っていた。
だから、ユズと一緒とは言え、ミドリちゃんが戻ってきた時には驚いたのだ。
その時に、イヅナさんのお陰で皆、天使が裏で糸を引いていたことを知り、アツロウ達は襲われなくなった。
あの封鎖も、そして封鎖内の人を全員殺すという最終決断も、政府の裏に居た天使の指示によるものだと言う事はアツロウ達は知っていたが、それ以外の人達はあの時イヅナさんが説明してくれた事で初めて知ったのだ。
政府の機関の人間であるイヅナさんが説明してくれたから、信じてもらえたのだ。
たとえ真実でも、アツロウ達が説明した時は信じてもらえなかったのだから。
やっと分かってもらえて、襲われなくなって。
それは良かったとは思ったけれど、アツロウは複雑でもあった。
アツロウ達だって、真実を最初から知っていた訳じゃない。
自分達の余命が0だと知り、生き残るために戦い情報を集めた結果なのだ。
自分達以外の人も、何人も助けた。
そしてそんな中、誰かが何とかしてくれると言わんばかりに、何もせずにただ待っている人達を何人も見て来た。
生き残るために必死に戦い、助けられる人を助け。
そうやって行動した結果、真実を知るに至ったからこそ、複雑だった。
それをあいつに言った時も「自分達が生き残る為に行動した結果だから、仕方ない」と言う答えが返って来た。
そんな風にあいつは、あの夢のような8日の間、誰も恨んだりはしなかったのだ。
そんな奴だから、選ばれたのか。
魔王になれだの、救世主になれだの、何故あいつにばかり背負わせるのかと、あの8日の間何度も思った。
そして今もまたあいつは魔王として、悪魔達を率い神に戦いを挑んでいるんだそうだ。
遥か昔から続く、神と悪魔の戦い。
その歯車の中に、完全に組み込まれてしまったのだ。

今度は一緒に戦う事も、傍に居てやることも出来ない。
アツロウに出来る事は、ただ待つことだけだ。
人間であるアツロウは、魔界に足を踏み入れる事が出来ない。
人間でありながら魔王であるあいつだけしか、行くことが出来ないのだから。

携帯電話と、既に使えなくなった改造COMPを取り出す。
この全く使い物にならなくなった改造COMPを見ると、あの8日間が夢じゃなかったのだと実感する。
長かったのか短かったのか、今となっては良く分からない。
ただ、必死だった。
生きてあの封鎖から出る為に、本当に必死だったのだ。
アツロウの闘いは終わったが、たった一人まだ戦っている友が居る。
無事に帰って来いと、そう思い、アツロウは携帯電話と改造COMPをしまう。
そうして、歩き出した。

闘い続けた8日間が終わっても、それでもまだ一人戦っている友を思って――。



END



2013/05/30up : 紅希