■箱庭の世界
ここは、主の創り給うた箱庭の世界。
『人が人を殺すことのない世界を創りたい』
主の研究目的のために生み出された試作品のひとつだ。
人が人を殺し過ぎれば雪が降り止まなくなり、やがて世界は滅びる。
止める手段はただ1つ。
世界が滅びようとする時に生まれる玄冬を、救世主・花白が殺すこと。
私は、主がそんな設定で創ったこの箱庭の世界で、玄冬を護り導く“黒の鳥”の役割を与えられていた。
そう長くもない時を経て生まれた最初の玄冬は―――
世界を滅ぼす魔王のような存在だとは到底思えない“変な男”だった。
◇◆◇
「ようやく終わったか」
大きく伸びをしながら幕舎を出て、ため息まじりに呟く。
レジスタンスに『連合軍と戦うために手を組まないか』と持ち掛けて。
最初は信用してもらえず、会談にすらならなかったのが軍議になるまで漕ぎ着けた。
ここまで来るのに苦労が多かっただけに、それは心から嬉しい。
だが、開戦の日取りを決めるくらいでこれほど時間がかかるとは思わなかった。
しかも準備の都合とか敵の動向とか、戦の方針が食い違った訳じゃない。
お互いが戦の流儀や暦の良し悪し、慣習なんかを主張し合ってなかなか譲らない。
それで日暮れまで揉めているのだから、ため息くらいつきたくもなる。
もっとも、こんなに価値観の違う人間たちが手を組んで戦に臨もうとしている。
不安が無い訳じゃないが、立ち位置が違っても協力し合う道はきっと作れる。
そう思えるくらいには前進していることに、ため息の直後だというのに笑みが漏れてしまう。
「……だが、いつを選ぼうと、雪の中で戦をすることになるんだろうな」
つーっと、黒い鳥が遠い視界を横切って、目を向けた空から飽くことなく雪が舞っている。
指折り数えた程度では足りないほど何日も絶え間なく、だ。
―――黒鷹と名乗る“変な男”が突然現れて、俺が玄冬だと聞かされて。
その時は絶対にあり得ないと思った話を、今は少しだけ信じられるようになってしまっている。
自分が生きているだけで世界が滅びに向かっていくなんて自覚は、この先も持てそうにない気がするが。
冬が終わる時期になってもまだ、なごり雪とも思えない勢いで雪が降っている。
これがいつまでも止まないとしたら、世界の終わりが近いと言う話にも頷きそうになってしまう。
……だからこそなおさら、だろうか。
何としても今度の戦には勝たなければいけないと、つい力が入る。
「私を偵察にこき使った男が、ぼんやり空を見上げて怠けているとはな」
背後から声をかけられて、思わず握りしめていた拳を解く。
振り返れば、先程まで鳥の姿で空を飛んでいたとは思えない男が立っている。
俺を世界を滅ぼす魔王呼ばわりしている男―――黒鷹だ。
相変わらず皮肉気な物言いは、“鷹”の印象からは程遠い。
だが、こちらに悪意を持って選んだ言葉遣いではないらしいと、最近ようやく分かって来た。
例えば、飛び立つまでは不平不満を口にするくせに、偵察を頼めば至極詳細に敵情を見てくる。
物資の調達を頼めば、面倒臭がりながら求めた以上を集めてくる。
護るべき“玄冬”が黒い鳥の言葉を信じず辛辣な態度を取っていた間も、毎日顔を見せに来ていた。
口を突いて出る言葉に見合わない黒鷹の態度を見続ければ、信用に足る男だと思えるようになった。
―――惜しい、と思うのは。
信用に足る男を……いや、鳥を、世界が終わるという時になって見つけたこと。
そして、少なくとも“玄冬”が生きている間は、空に晴れ間は戻らないだろうということだ。
「玄冬? 私に労いの言葉をかけるくらいの気遣いはあっても良いんじゃないのか?」
「怠けて空を見上げてた訳じゃないさ」
「何?」
この言葉が、労いになるかどうかは知らないが。
いつも皮肉気な男の驚く顔が見たくなって、考えていたことをそのまま口にした。
「お前が青空の下で飛ぶのを、一度で良いから見てみたかったと思っていたんだ」
◇◆◇
ここは、主の創り給うた箱庭の世界。
『人が人を殺すことのない世界を創りたい』
主の研究目的のために生み出された試作品のひとつ。
そして、同じく主によって“失敗作”の判定を下された世界でもある。
人が人を殺し過ぎれば世界が滅ぶと知っていても、人は人を殺し続けた。
それだけでも十分、“失敗作”と呼ばれるに足る結果だったとは思うが。
本来、人間たちを断罪する存在となるはずだった玄冬が、世界を滅ぼさないために自ら死を選んだ。
争いを止め、戦を終わらせることに尽力した挙げ句、“玄冬”という存在を人々に印象づけるために極悪人のフリをして処刑された。
失敗作とみなされた時点で壊されるはずだったこの世界を救おうとしたのは―――
初代玄冬が滅ぼしたくないと望んだ、その想いに応えたかったからではない。
私は断じて、そんな善い鳥ではない。
……ただ、この世界を残すことで望んだ未来があるとしたら。
……あるとしたら?
時折、白梟にもかけられる問いに答えを返せたことはないけれど。
「なぁ、黒鷹」
「どうした、玄冬? そんなに熱心に空なんか見上げて」
「さっき、空を飛んでいただろう?」
「飛んで周りの様子を見てきたからね。それがどうかしたのかい?」
「黒鷹の飛ぶ姿は、青空に映えるんだなって思ってたんだ」
再び滅びようとしている世界。
そこに生まれた、初代の記憶など何ひとつない玄冬の言葉に目を見張る。
……私がこの世界に思い残すことがあったとしたら……。
それは案外、玄冬のこんな言葉を聴きたい。―――そんな小さな想いだったのかもしれない。
END
2019/11/02up : 春宵