■巫女

今日は学習室が解放される年内最終日。
自分の受験勉強だけなら家でやる方が効率的だけど、

『この問題が解けないと受験が不安で年を越せない』

……なんて泣きついてくるクラスメイトが居ないとも限らない。
冬休み中でもそこかしこで音楽が奏でられている校舎に、今年最後の一日くらいは長く居座ることに決めた。
『休憩がてら』と自分に区切りをつけて、やはり年内最後の練習日だというオケ部にも顔を出す。

「大地先輩、受験まで本当にもうすぐですよね。頑張ってください!」
「ありがとう。最善を尽くすよ」
「いまだに小日向の合奏団に付き合ってるくらいだから、余裕なんじゃないですか?」
「ははっ、それで落ちたなんて言われたらひなちゃんにも迷惑をかけるから、余計頑張んないとな」

一応、引退した先輩なりに後輩の手助けになればと思って来たつもりなんだけど。
囲まれて激励を受けているのは俺の方で、2つの意味で笑みが漏れる。
ひとつは、俺個人が引退した後も後輩に励ましてもらえる先輩で居られていることが嬉しい。
もうひとつは、オケ部が良い雰囲気で練習できるところまで持ち直していることが嬉しい。

部を率いていた律の引退と顧問の病気療養が重なり、オケ部は一時、練習さえまともに出来ないような状態が続いていた。

『これが全国音楽コンクールで優勝した星奏学院オーケストラ部のあるべき姿ですか!?』

憤慨していたのは水嶋くらいで、他の部員たちはいつ見ても不安そうな、抜け殻のような顔をしていた。
それが再び練習では締まった表情を見せ、練習後は談笑する声がそこかしこで聞こえる。
いろんな意味で学院中の話題をさらった須永先生と小倉先生が顧問になったこと。
無理やり任命されたと愚痴ってはいるものの、案外、仕切るのが上手い響也が新部長に納まったこと。
彼らに部員たちがちゃんとついて行けていることで、新体制が良い形で出来上がろうとしているんだろう。
卒業するまでの短い期間ではあるけれど、新しいオケ部が作られて行くのを見るのも楽しみかもしれない。
そんなことを考えながら後輩たちを見回していると、音楽室の扉あたりでひなちゃんと水嶋が話しているのが目に留まった。

開催まで間もない週末合奏団のジルベスターコンサートの話でもしてるんだろうか。
聞き耳を立てたつもりはないけれど、注意を向けた途端、入って来た会話に思わず目を見張った。

「では、元日に菩提樹寮まで迎えに行きますので、よろしくお願いします」
「私は現地集合でも大丈夫だよ?」
「いえ。境内や参道は混んでいて合流するのが難しいですし、先輩も前日のコンサートでお疲れでしょう。
 初詣には色々な人が来て意外と物騒なので、迎えに行かせてもらえた方が僕も安心できます」

―――へぇ、いつの間に。
2人で初詣に行く約束をしているようにしか聞こえない会話に、つい下世話な感想を持ってしまう。
距離が近づいたのはオケ部を立て直す過程でなのか。週末合奏団の練習でだろうか。
どっちだとしても意外だけど、実際、誘ったのはどっちなんだろうか。
もやもやと疑問が沸き上がってくる中、水嶋に限って元日に女子と初詣なんて選択肢はないことに気がついた。
水嶋の家は神社だから三が日は休む暇もないほど忙しいと、何かの拍子に聞いたのを思い出したからだ。

「残念だな。ひなちゃんを初詣に誘おうと思ってたけど、先約があるみたいだね」

ホッとしたところで2人に近づいて声をかけた。
ひなちゃんは、会話を聞かれていたことに慌てているのか可愛らしく頬を赤らめている。
水嶋は、もともと緩むことの少ない表情をさらに引き締めて、こちらを上目遣いに見る。

「年明けすぐに受験なのに、女子と初詣になんて行ってる場合ですか」
「これも受験のためだよ。やるべきことをすべてやったら、あとは神頼みくらいしか無いからね」
「人事を尽くして天命を待つ……その心意気は評価しますが、小日向先輩と一緒に行く必然性がありませんね」

神頼みはどうぞお1人で。
水嶋にバッサリ切り捨てられて、ひなちゃんの顔を見ながら肩をすくめた。

「そう言う水嶋は、元日にひなちゃんと過ごすつもりなんじゃないのか?」

意趣返しのつもりで、敢えて誤解を生むような言い回しで尋ねる。
水嶋が呆れたように大きなため息をつく隣で、ひなちゃんが『違います』と両方の手のひらを見せてひらひら振った。

「一緒に過ごすとか、そういうのじゃなくて……」
「初詣のお手伝いをしていただく方が急に来られなくなって、小日向先輩にピンチヒッターをお願いしたんです」

正月まで日が無くて改めて募集をかけるのが難しく、知り合いを当たるしかなかった、とか。
3が日の間、社務所でお守りや御札、絵馬なんかの販売のお手伝いをするんだ、とか。
ジルベスターコンサートの翌日でお疲れのところ申し訳ないとは思っている、とか。
週末合奏団でたくさん力を貸してもらったから私からも何か返したかった、とか。
憮然とする水嶋と慌てるひなちゃんが、俺が質問する必要もない勢いで交互に説明してくれる。

「もしかして、ひなちゃんも巫女さんの格好をしたりするのかな?」

初詣で賑わう神社の社務所に、ひなちゃんがいる。
その光景を思い浮かべて、一番気になったことを口にした。

「え? どうなんだろう?」
「……榊先輩の希望に添うようで不本意ですが……たぶん、着ていただくことになると思います」

今初めて気がついたと言うように驚いたひなちゃんに、水嶋が苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
正直、初詣なんて気休め程度のことだから、混む時期が終わった後に静かに行こうかと思っていたけれど。
混み合う参道の奥に巫女姿のひなちゃんが待っているなら、神様以上にご利益がありそうな気がする。

「へぇ…。じゃぁ、神頼みついでに可愛い巫女のひなちゃんにも会いに行こうかな」
「ちょっと恥ずかしいですけど……ぜひ来てくださいね」
「……そんな邪な動機で参拝しても、何のご利益も得られないと思いますよ」

だから榊先輩にだけは知られたくなかったんだ、と。
水嶋がボヤく小さな声に気づかない振りをしながら、その前にジルベスターも頑張ろうなんて話題を変えてみる。

受験を控えた年末年始は、勉強しながら静かに過ごすものだと思っていたけれど。
ジルベスターコンサートに可愛い巫女さんの特典付き初詣とは、ずいぶんと賑やかに過ごすことになりそうだ。
―――その前に、出来るだけの人事を尽くしておこうか。
早くも弾みそうになる気持ちを無理矢理に抑えつけながら、学習室に戻る足を急がせた。



END



2020/12/20up : 春宵