■氷の檻

 生温かい京の風が髪を撫でて通り過ぎていく。
 屯所からちょっと歩いただけなのに、じっとりと着物が肌に貼りついてくる。
 稽古しているフリだけでもしようかと思って木刀を持ってきたのに、軽く振る気にもならない。
 ………はぁ。
 京の気候って本当、僕の性に合わないんだよね。
 そんな台詞、土方さんにでも聞きつけられたら面倒だから口にはしないけれど。

 て言うか、面倒な言葉を口走らなくても面倒は起きるもので。
 さっきまた土方さんに絡まれたばかりだ。―――『総司、お前は江戸に帰れ』って。
 言う事を聞く気がないから数えてないけど、もう飽きるくらい聞いた言葉。
 近藤さんも、いつも通り土方さんに同調しようとしてた。
 そして僕もいつも通り『嫌です!』って撥ねつけて、広間を出てきてしまった。

 「あーあ………また、困らせちゃったな………」

 一応、落ち込んでみる。
 土方さんが困ったところでどうでも良いけど、近藤さんが困るのは見たくない。
 まして僕のせいで、なんて許せることじゃない。
 だけど、江戸に帰れという土方さんの言葉に―――それが近藤さんの意志でも、頷く訳はいかなかった。
 本心から僕を思い遣ってくれた優しさを拒絶することになっても、だ。
 土方さんもいい加減、覚えてくれたらいいのに。
 僕を近藤さんから引き離そうとしても無駄だって。
 近藤さんが認めるくらいには頭がキレるんだから、それくらい慮ってくれなきゃ。

 この命も、剣技も、全部近藤さんのために使うと決めたから。
 僕は近藤さんから離れてなんて生きられない。
 ………何より、近藤さんにまで捨てられたら、僕は。

 そんな事は考えたくもないのに、どうしても頭をよぎってしまう。
 生温かったはずの夏の空気が一瞬で凍りついて、氷の檻にでも入れられたような気分になる。
 近藤さんは、僕を一人ぼっちの闇から救ってくれた人だ。
 僕は小さい頃に食い扶持減らしのために姉上に捨てられて、試衛館に預けられた。
 そこでは、なまじ“出来る子”だったせいで兄弟子たちに折檻されて。

 アイツラガ 憎イ
 イツカ コノ手デ 僕ノ刀デ 斬ッテ 突イテ 刺シテ 殺シテヤル!!!

 醜い衝動に飲み込まれていた僕に、近藤さんが生きる意味をくれた。
 怨念さえ込めて振り回してた刀に、近藤さんが振るう理由をくれた。
 それも、可哀想な子供に同情して庇って守ってくれるんじゃなくて―――
 他人であるはずの僕のことを想って、信じて、手を出さず見守ってくれたんだ。
 少なくとも僕の周りではそんな人、他に居なかった。
 その時からずっと、近藤さんは僕の唯一だ。
 僕を覆っていた憎しみの氷の檻を融かして解き放ってくれた太陽みたいな存在だったのに。
 必死になって太陽にしがみつこうとすればするほど、どうして心が冷えていくんだろう。

 「ハッ」

 氷の檻を断ち斬るように木刀を振り上げて空を斬る。
 当たり前だけど、嫌になるほど手ごたえがない。
 近藤さんの邪魔になる人間を一人でも斬ることが出来たなら、少しは心が晴れるんだろうか。
 そんな事を考えて木刀を振るう手を止めた時、こっちに向かって歩いてくる一君に気がついた。

 「総司、ここに居たのか」
 「土方さんに呼んで来いって言われたんなら、行く気がないから無駄足だよ?」

 先回りしてそう言うと、一君は『そうではない』と首を左右に振る。

 「夕飯の当番なのに総司が居ないと、平助が探していた」
 「………ああ、そう言えばそうだっけ」

 用があって外に出ると言っていた平助に買い物を頼んだことなんて、すっかり頭から飛んでいた。
 西の空を見れば、もう日が傾き始めている。
 浪士組はただでさえ男所帯なところに、人数も無駄に多いせいで食事作りに手間暇がかかる。
 新八さんみたいに腹が減ると人が変わる性質の人間も居るし、面倒くさい。
 仕方ない、と肩をすくめて先を行く一君について屯所に戻ることにした。
 足元に長い影が伸びるのを見ながら、背中を見せていても隙が無い一君に思いついた問いを投げた。

 「ねぇ、一君は人を斬った事があるの?」
 「………何故、そんな事を聞く?」

 一君は『ある』とも『無い』とも答えないで問いを返してきた。
 でも、振り返らない背中が『ある』と言っているみたいで、そのつもりで答えを返した。

 「憎んでる相手とかを斬れば心が晴れるのかなって、ちょっと思っただけ」

 近藤さんのために役に立ちたいと思って京までついて来たのに、全然役に立ててる気がしなくて。
 実際、何も出来てないから『帰れ』なんて言われるんだとしたら。
 役に立てば良い、と。―――そうすれば、凍えるような想いを胸に留める事もないのかもしれない、と。
 さっきまで木刀を振るいながら考えていたことを思い出しながら、そう言った。
 すると、一君は足を止めてこっちを振り返った。
 そして感情の籠らない瞳で僕の方を見ながら、口を開く。

 「心が晴れることなど無い、決して」
 「………そう」

 きっぱりと言い切る一君に、僕も感情の籠らない相槌を打った。
 これが一君じゃなくて土方さんなら『そんな気持ちで刀を振るう気なら辞めてしまえ』とか言うだろう。
 そんな感じの言葉だった。
 だから反発してって訳じゃないけど、一君の言葉を聞いて改めて思う。
 いつかその境地を知りたい、と。
 それが本当の意味で近藤さんの役に立つことが出来た瞬間になるんだろうと、期待さえ込めて。
 


END



2014/03/13up : 春宵