■純白の樹海

ここ数日の陽気で、奥州にもようやく遅い春がやって来たようだと思っていた矢先。
桜が咲き始めたという報せとともに、御館の元に京の情勢を伝える便りが届いた。
源義経が木曽義仲を討ち入京した、と。

源義経―――九郎は奥州で数年を過ごした後、兄・頼朝が挙兵したと聞き鎌倉に参じている。
以来、消息が届くことはなかったが、いよいよ軍を動かし人の口の端に上るようになったのだろう。
我が子のように"御曹司"九郎を庇護していた御館の喜びは大きい。
昨日は上機嫌で祝宴を開き、大いに飲み、大いに笑い声を上げていた。

明けて今日。
昨日までの暖かさが一変し、奥州は朝から雪に見舞われていた。
ほころび始めたばかりの桜にも白いものが積もり、雪景色が戻ろうとしている。

「……これがお前の行末ではあるまいな」

白い息を吐きながら思わず零した言葉に眉を寄せる。
何故、九郎の身を案じなければならぬのか。
とっさに面(おもて)に出たのは不快さだった。
だが、胸の内を占めるのは、寒の戻りと九郎の先行きが重なって見えるような悪い予感だ。

奥州を離れた後、どのように変わったのかは知らぬが。
九郎は真っ直ぐに人の言葉を信じ、人に相対するにも真っ直ぐに接し、それ故に人から慕われる。
そういう質だった。

まるで曇ひとつない晴れた空のような。

時折そう思わされたのは、九郎の好んで着ていた衣服が空色だったせいだけではない。
ただそこに在るだけで、周りまでをも明るく照り映えさせる。
多くの人が訪れ愛でようとする桜ならば、より美しく。
人が避けて通るような雪に覆われた純白の樹海さえ、輝かせ惹きたてる。
思惑を持ってしている訳でもなく、自覚もなく、そうなってしまう。

そんな九郎の在り方を、好ましいと思う者ばかりではないだろう。
晴れた空を見て気を和ませる人は多かろうが、空の青さを疎ましく思う者も確かに居る。
―――自分もそうだったからこそよく分かる。
九郎がこの先、兄・頼朝や京で政を行う輩と渡り合った時、不遇を受ける様子が容易く目に浮かんだ。

空模様と人の世に起こる物事を結びつけることに意味があるとは思えぬ。
だが、春の寒の戻りが珍しいことではないように……
人の世でほころんだ花が無残に散らされることも珍しいことではない。

せめて散るべき時まで健やかに、と。
進む道も引く道も分からぬ純白の樹海に放り出されるようなことがないように、と。
まだ降りしきる雪に鋭く目を遣りながら、願う。
そしてこの想いが、面に出ることなく春の雪に埋もれることをともに願った。
 


END



2020/05/04up : 春宵