■月の光

思いすごしであって欲しい。
祈りにも似た思いは、クマの「センセイが!」と言う叫びで打ち砕かれた。

足立を追い掛けテレビの中へと入って、どうにか足立の居場所を特定して。
そうして辿り着いた場所に、確かに足立はいた。
だが、足立は更に奥へと行ってしまい、足立が消えた場所には、入口のようなものがあって。
りせのサーチによれば、その先に足立はいるらしい。
そして、更にりせが告げた言葉に、皆驚いた。

「先輩と似た気配がする。もしかしたら呼んでいるのかも」

そのりせの言葉に、一瞬ではあったが、鳴上の表情が変わったのを見逃さなかった。
考え込むようなその表情に嫌な予感がして――けれど、その後直ぐ自分の発言を否定するような事を言い、皆で行こうと言ったりせの言葉に頷いた鳴上の表情はいつも通りだった。
それでも嫌な予感は消えなくて、だから陽介も一人で行くなと鳴上に釘をさした。
そうして各自家に戻って、陽介はクマに、向こうの世界に鳴上の気配を感じたら直ぐに教えろと言っておいた。
陽介の言葉に分かっていると答えた鳴上だが、嫌な予感がなくなる事はなくて。
だから、クマの叫びにも、冷静に対処出来た。

「センセイが!」

叫ぶようなクマの声が響いた途端、やはり、と陽介は思う。
出来れば思い過ごしであって欲しいと、嫌な予感があたらなければいいと思っていた。
だが、鳴上なら一人で行くだろうと言う思いもあったのだ。

「どうしよう、陽介。センセイが一人で向こうの世界に」
「分かってるって。――ちゃんと連れて帰って来るから心配するな」

泣きそうなクマを宥めて、陽介は立ち上がる。
ジュネスからテレビに入って鳴上を連れて帰って来るかそれとも――。
どうするかな、なんて思いながら、一応防具を身につけ制服を着て武器を持ち、ジュネスへと向かう。
こんな時間に制服を着てジュネスへと行けば目立つが仕方ない。
誰かに見つかったら、家に帰ったが、用事を思い出して着替えずに来たとでも言えばいいかと思う。
万が一の為に、武器と防具は必要だった。
無事で居てくれと思いながら、ジュネスへと向かう。
街灯が全くないわけじゃないが、ここに来る前に陽介がいた場所と比べたら、夜道は暗い。
夜空を見上げて、月が出ていれば良かったのにと思う。
今は霧が濃くて月の光が届かないが、晴れている時は、月の光が夜道を照らしてくれる。
月の光が意外と明るいと知ったのは、ここ稲羽に来てからだった。
霧が濃いため月の光は届かず、暗い夜道を歩きながら思う。
直斗が言うには、どうやら鳴上と足立は個人的に交流があったようだ。
どの程度のものなのか、鳴上から足立の事を聞いた事がないので分からない。
だから、鳴上が無茶をしないという保証もないのだ。
なんだってあいつはいつも一人で背負うのかと陽介は思う。
陽介にしろ、特捜隊の仲間にしろ、皆鳴上に救われた。
皆の話を聞き、言葉を掛けて。
そうやっていつだって聞く側で救いあげる側で。
でもそれなら、鳴上の悩みは誰が聞くのか、誰があいつを救いあげるのか。
そんな必要がないくらい強い奴だって事は分かっている。
だが、何も悩みのない人間なんていないのだ。

ジュネスに着き、家電売り場へと向かう。
いつも向こうの世界へと行く時に使うテレビの前に立ち、陽介は考え込んだ。
鳴上を追い掛けてテレビの中に入るべきかそれとも――ここで、待っているべきか。
足立と鳴上がどの程度の交流があったのかは分からない。
分からないが、鳴上は恐らく足立を受け入れたんだろう。
犯人だとかそんな事は関係ない。
その人物の背景なんて、鳴上には関係ないのだ。
不良だと恐れられていた完二に対しても、鳴上は他の仲間に接するのと変わらない態度で接していた。
そして、小西早紀の弟、小西尚紀に対してもそうだった。
被害者の家族と言う事で周りが腫れ物にでも触るかのような扱いだったのに、鳴上は他の者に対するのと変わらない態度で接していた。
アイドルのりせに対しても――アイドルのりせちーを鳴上が知らなかったせいもあるだろうが――同様だった。
だからきっと、足立に対しても同じだろう。
彼が事件の犯人だろうが何だろうが、恐らく鳴上の態度は変わらない。
それが分かっているからこそ、テレビの中に入って鳴上を連れて帰って来ていいのか悩む。
一人で行かなければならない理由が、きっとあったんだろう。
それが分かっていても、何故何も言ってくれないのかと思う。
陽介には話せないだろうって事も、分かってはいるのだ。
足立が小西先輩をテレビの中に入れた犯人で間違いないだろう。
そう思えば、足立に対して決して良い感情は抱けない。
それを分かっているから、鳴上は足立の事を陽介には言わないだろう。

「さて、どうするかな」

テレビの中に入って、鳴上と足立が話している場面を見て、陽介は自分が何を思うのか想像出来ない。
決して良い感情は抱かないと言う事は分かっているが。
何を思うか、どんな態度を取るか、正直自分でも分からなかった。
だから――。

「待ってるのがいいんだろうな、ここで」

あいつが戻って来るのが異様に遅かったら、その時は中に入ればいい。
それでは遅いかもしれないという思いはあるが、陽介の心情的にもそれが一番いいだろう。
何事も無く無事に戻って来て欲しいと願う。
テレビの中に入る場合、自分一人でいいのか、それとも――。
いや、仲間には出来れば知らせたくはない。
余計な心配は掛けたくはないのだ。
それはきっと鳴上も望んでいることだろう。
だったら一人で行くなと思うが、今そんな事を思ってみてもどうしようもない。
ふぅ、と溜息を一つ吐き出して、陽介はテレビから少し離れる。
家電売り場には客が殆ど居ないため、店員も常駐していない。
そのお陰で、テレビに出入りしている所を誰にも見られずに済んでいるのだから。
だから今も、このフロアには店員はいない。
とは言え、絶対に店員が来ないとも限らない為、少しだけテレビから離れる。
テレビの真ん前にずっと突っ立っているのは流石に不審に思われるだろうから。
テレビから鳴上が出て来た場合、直ぐに対処出来るギリギリの位置で陽介は待つ。
早く戻って来いと、祈るような気持ちでじっとテレビを見つめていた。

程なくして、テレビに独特の波紋が浮かび上がる。
それを見た陽介がテレビへと近づけば、鳴上がテレビから出てくる。
陽介が声を掛けて初めて鳴上は陽介の存在に気付いたようで、一瞬驚いた表情を浮かべて、直ぐに顔を逸らす。
珍しく分かり易い反応をした鳴上を見て、陽介が此処にいるとは全く予想していなかったのだと知る。
鳴上の様子は明らかに可笑しかったし、それに陽介が気付かないはずがないのだが、気付かれていないと思っていたのか、それともそれ程に余裕がなかったのか。
どちらにしろ、鳴上は陽介が此処に居ることを全く予想していなかったようだ。

「クマが、お前がテレビの中にいるって心配してたぞ」
「……悪かった」

そう言いながら鳴上は探るような視線を陽介に向けてくる。
クマに携帯で電話を掛けながら、陽介は言葉を紡いだ。

「誰にも言ってねえよ。お前が一人でテレビの中に入ったのを知ってるのは、俺とクマだけだ」
「……そうか」

安心したようにほっと息を吐き出して、鳴上はそれだけ言う。
電話に出たクマに、鳴上が無事に戻って来た事を伝えれば、代われと大騒ぎで、あまりの煩さに陽介はそのまま携帯を鳴上に渡す。
出ろと目で合図すれば、躊躇ったのち、仕方なさそうに鳴上は携帯を受け取った。

「もしも――っ、」
「センセー! クマ心配したクマよ!」

鳴上の言葉を遮ってクマが叫ぶ声が、陽介にまで聞こえてくる。
煩いのだろう、鳴上は耳から少し携帯を離していた。
どうにか宥めて、このことは誰にも言うなと鳴上はクマに念を押す。
漸くクマから解放されて、ほっと息を吐き出して、鳴上は携帯を陽介へと差し出した。

「……ありがとう」

その鳴上の言葉は、携帯を貸した事に対してなのか、それとも此処で待っていた事に対してなのか。
――恐らくは、両方に対してなのだろう。
短い返事をして、陽介は差し出された携帯を受け取る。
無言で歩き出せば、鳴上もそれに従って歩き出した。

聞きたいことは、ある。
あるが、聞きたくないというのもまた本音で。
だからなのか、陽介は鮫川の河川敷へと来ていた。
此処に来るつもりはなかった。
鳴上に聞きたいことはあっても、どう聞けばいいのかも分からないし、それに聞きたくないという思いもあるのだ。
相反する感情を持て余した結果、此処に来てしまったのか。
正直、陽介自身、何故此処に来たのか分からない。
夏でも夜の鮫川河川敷は涼しい。
なのに、辺りが雪で白くなっているこんな時期に此処に来れば当然だが寒い。
けれどこの寒さが、相反する複雑な感情を少しだけ落ち着かせてくれる気がした。
何も言わず陽介についてきた鳴上は、陽介の隣に立ったまま何も言わない。
恐らくは陽介が何かを言うのを待っているのだろうが、今はまだ何を言えばいいのかも、どう言えばいいのかも分からない。
何も言わず待っていてくれる鳴上に甘えることにして、陽介は相反する複雑な思いについて考えてみることにした。
霧が濃くて景色も良く見えない。
霧がなく、月の光が届く夜は、川面が月明かりを反射して輝き綺麗なのだが、今は川は黒く見えるだけだ。
それさえも、濃い霧に覆われてぼんやりとしか見えない。
河川敷には薄らと雪が積もり、そのせいで川よりは白く見えるが、それでもやはり濃い霧に覆われて良くは見えない。
隣に立つ鳴上の姿さえも良く見えない程、霧が濃かった。

足立と何を話したのか、何を言われたのか。
見る限り怪我をしている様子はないが、鳴上も防具を身に着け武器を携帯している。
そのせいで鳴上も制服を着ている訳だが、こんな夜に制服を来た男子高校生が二人河川敷に居るところを見られたら、また何を言われるか……。
ただでさえ陽介は有名人だ。
鳴上も、交友関係が広いせいもあり有名だ。
この濃い霧のお陰で恐らくは陽介と鳴上の姿は近づいてこない限り見えないだろうから大丈夫だとは思うが、それでも見えないとは限らない。
まあ、鳴上は夜時々此処で釣りをしているらしいから、鳴上一人なら釣りをしているんだろうで済むだろうが、陽介と一緒となると――以前ここで二人で殴り合った時のようにまた噂になりかねない。
だから、あまり長居するのもどうかと思うが、聞きたいことはあるのに、どうしても躊躇する。
聞きたいのに聞きたくない。
相反する思いに翻弄される。

聞きたいのに聞きたくないってあれだな。
恋人の浮気を知った時の心境のようだ――そこまで思い、陽介ははっとする。
いや、今俺、何を思った?
恋人の浮気を知った時の心境? って相手は鳴上だぞ!
ちょっと待て。単に心配だっただけだ。うん、そうだ、絶対に。
別に俺は、鳴上が足立に会いに行った事自体が嫌だという訳じゃなく、テレビの中に、しかも先輩や山野アナをテレビに入れた犯人に一人で会いに行った事が心配だっただけで――。
どんな事を話したのかなんてことは別に気にならないし、今だってこうして俺の隣に居るのに、多分足立のことを考え居るんだろうってのが気に入らない訳じゃなくて……。
自分が思ってしまったことを否定すればする程、鳴上が足立と会っているんだろうと思った時のあの感情が、そうとしか思えなくて。
あーっ! と思わず声を上げる。

「陽介?」

どうした、大丈夫か? そんな言葉が聞こえた気がした。
濃い霧の向こうから、じっと陽介を見つめる鳴上を見て、音になっていないのに聞こえた言葉は、間違いじゃないと知る。
そして、鳴上の意識が完全に陽介に向いた事を嬉しいと思った。
そんなことを思ってしまい、違うんだとまた否定する。
思ってしまったことを追い出すかのように、首を左右に振れば、とうとう鳴上が、先ほど言葉にしなかったことを口にした。

「どうした、大丈夫か?」

そう言った鳴上に対し、大丈夫だと返そうと再び鳴上に視線を向けて、陽介は固まる。
霧が濃いせいで隣に立っていた鳴上の姿さえ良く見えなくて。
だからなのか、鳴上は陽介に先程よりも近づいていた。
それでも、掛かる霧がその存在を儚く見せて――霧のせいなのか、それともその存在自体が儚く見えるせいなのか、グレーの髪が銀色に見えて。
その整った容貌故に普段でも近寄りがたい雰囲気があるというのに、更に近づき難さが増す。
その存在が遠く感じて、二度と触れることはおろか、隣に立つことさえ出来ない気がして――消えてしましそうな気がして。
手を伸ばそうとして、何故かそれさえも許されない気がして、思わず陽介は僅かに後退する。
それを留めるかのように、鳴上が陽介の腕を掴んだ。

「陽介!」

先程までとは違い、少し強い口調で鳴上は陽介の名を呼ぶ。
掴まれた腕を見てから、陽介はじっとこちらを見つめる鳴上へと視線を向けた。

「大丈夫か。どうしたんだ」
「あ、ああ。大丈夫だ、なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないだろ」
「本当に、何でもないんだ。それより、鳴上……」

そこまで言って陽介は口を噤む。
聞きたいことはある。だが、どう聞けばいいのかが分からなかった。
それを察したらしい鳴上が、言葉を紡ぐ。

「足立さんとは、少し話しただけだ。何もなかったよ。……追い返されたと言うのが正しいか」
「追い返された?」
「俺一人では不満らしい。皆と一緒に来いと言われた」
「……そうか」

少し話したというその内容が気にならないと言えば嘘になる。
むしろ、それが一番気になるが、それを認めてしまうと、何故そんなに気になるのか突き詰めないといけない気がして。
だから、気にならないと言い聞かせる。

「もう、一人で行こうとするなよ」
「分かってる」
「クマだけじゃなく、俺だって心配したんだからな」
「……悪かった。気になったんだ、どうしても」

そう言われて、それ以上なんと返せばいいのか、分からなかった。
何が気になったのか。
鳴上は足立とどんな話したのか。
湧き上がる複雑な感情を無理やり抑え込んで、陽介は小さく息を吐き出し視線を落とす。
見れば、未だに鳴上は陽介の腕を掴んだままだった。
じっと陽介の腕を掴んだままの鳴上の手を見ていれば、それに鳴上が気付く。
悪い、と小さく呟いて、鳴上の手が陽介の腕から離れていく。
それを嫌だと思うが――何故そんな事を思うのかなんて考えてはいけない気がして。
嫌だと言う感情自体に蓋をする。
そうして鳴上から視線を外して、霧のせいでぼんやりとしか見えない川面を見つめて、言葉を紡いだ。

「次の戦いで、霧が晴れるといいな」
「ああ、そうだな」

躊躇うこともなく返された言葉に、陽介は内心でほっとする。
鳴上の中で足立の事はもう決着がついているんだろう。
だからもう、これ以上は考えないことにする。
色々考えてみても、今すぐに答えは出そうにないから。
今はとにかく、全てを終わらせる事だけを考えよう。
霧が晴れて、また月の光に照らされる鮫川をこんな風に鳴上と二人で見れたら――そんな事を思う。
都会では見ることの出来ない光景を、もう一度。
そう、願っていた。

雪が、降って来る。
霧のせいであまり良くは見えないが、それでも陽介は空を見上げた。

「帰るか、雪も降ってきたことだし」
「そうだな」
「霧だとホント、雪綺麗に見えねえな」
「……ああ」

鳴上も空を見上げて、そう短く返事をする。
しばらくの間、霧に覆われた空から落ちてくる雪を、二人で眺めていた。

また、明日。と言って、互いに家に向かって歩き出す。
立ち止まり振り返って、陽介は霧の中に消えていく鳴上の姿を、じっと眺めていた。
再び湧き上がる複雑な感情。
手を伸ばしたいのに出来なくて――けれどもう、手を伸ばしても鳴上には届かないだろう。
その姿はもう完全に霧の中に消えてしまっているから。
複雑な感情を持て余して、それを吐き出すかのように陽介は溜息を吐く。

霧が晴れて、月の光が暗い夜道を照らしたら、この複雑な感情の意味も分かるだろうか。
何となく分かってはいるが、今はまだ陽介自身の感情がそれに追いつかない。
だから今はまだ、分からない事にしておくのがいいと思っていた。
いつの日か、全て受け止められる日まで――。
そんな事を思い、陽介は苦笑する。
もう一度だけ、鳴上が去った方を眺めて、そして陽介も家に向かって歩き出した。



END



2012/09/26up : 紅希