■月の光
寒っと陽介は小さく呟く。
2月も終わりのこの時期。
まだまだ寒く、しかも夜となれば尚更だ。
高台と言われているこの場所には、夜なので当然だが陽介以外に人はいない。
だからという訳ではないが、空を見上げれば綺麗な月が出ていて、ああ、本当に霧が晴れたんだなと改めて思う。
足立と戦って、その後アメノサギリと戦い、その結果霧を晴らすことが出来た。
以前鳴上と鮫川の河川敷で話した時はまだ霧が晴れていなくて。
それもそうだろう。
あの時は、まだ足立と戦う前だった。
鳴上がたった一人でテレビの中の足立に会いに行った後だったのだから。
あれから約二か月。
鳴上が都会へと帰るまで残り一か月程。
こんなギリギリになってやっと、あの時何となく分かっていた想いと向き合って、そして――。
「陽介」
呼ぶ声に、陽介は空から声のした方へと視線を向ける。
そこに居たのは鳴上で、陽介が呼び出したのだ。
そう、やっと今日伝えようと思ったのだ。
言わない方が良いのかもしれないと何度も思った。
言うことで折角得た”相棒”という地位を失うかもしれない。
だからこのまま気付かない振りを続けていた方がいいんじゃないかと、そう何度も何度も思った。
失いたくないのだ、大切な相棒を。
けれど、完全に自覚してしまった想いは、そう簡単に封じ込める事は出来なくて。
今更気付かなかった振りなんて、出来るはずもなかった。
親友として相棒として傍に居る事さえ苦しくなって、陽介の態度が可笑しいと、鳴上にも完二にも指摘されたくらいだ。
クマにまで最近の陽介は可笑しいと言われ、もう言ってしまおうと、そう思った。
鳴上の事だ、きっと大丈夫だろうと、何故か唐突にそう思えたから。
誰よりも”花村陽介”という人間を知っているのは鳴上だ。
そして鳴上は、こんなことで陽介への態度を変えるような奴じゃない事は誰よりも陽介が知っている。
ずっと傍に居て、見てきたのだから。
「どうしたんだ、こんな夜に」
言いながら鳴上は陽介に近づく。
近づいてくる鳴上をしばらく見つめて、陽介は再び空を見上げる。
釣られるように鳴上も、空を見上げた。
「霧、本当に晴れたんだな」
「陽介、それ何度目だ?」
「いいだろ。そう思ったんだから。……前にお前と、鮫川の河川敷で話した時はこんな風に月が見えなかったから」
「そうだったな。夜道を歩くと、月の光が明るいって良く分かる」
「それってさ、こっちに引っ越してきたばっかりの時も思わなかったか?」
「思った。向こうは夜でも明るいから、月の光がこんなに明るいって知らなかったな」
「だよな!」
「それで? 何か俺に用があるんだろ?」
「ああ、うん」
それだけ言って陽介は黙り込む。
そんな陽介を見て先を促すでもなく、鳴上はただじっと待っている。
いつもそうだ。
陽介が話す気になるまで、鳴上はいつまででも待っている。
こんな寒い夜に突然呼び出された事に文句も言わずに。
恐らく、陽介の話が軽いものではない事くらいは分かっているんだろう。
――言うと、伝えると決めて来ても、それでも揺らぐ。
今の、この心地よい関係を壊したくない。
相棒と言うこの立ち位置を、失くしたくない。
この場所を、失いたくない。
それなのに――このままで居るのも限界なのだ。
矛盾してるなと陽介は思う。
あと一か月程で、鳴上は帰ってしまう。
学校で会うこともなくなる。
こんな風に呼び出して会うことも、出来なくなるのだ。
あと少し――そう思うとやはり揺らぐ。
あと少しなんだから、このまま何も言わずに。
そう思ったことは何度もあるし、今も思ってる。
でもそれでも……。
「……明かり少ないな。まあだから月の光が明るいって分かるんだろうけど」
ぽつりと呟いた鳴上は、八十稲羽の町を見ている。
この高台からは町が一望出来るのだ。
商店街は夜になれば閉まり、明かりが消える。
この時間はまだ明かりがついている家もあるが、消えている家も当然ある。
陽介や鳴上が以前いた場所は、夜も明るくて、月の光が明るいなんて知らなかった。
街が一望出来るような場所からこんな風に眺めれば、人工的な明かりで夜景が綺麗だった。
けれど――。
「こういう夜景も、悪くない。一緒に見るのが陽介ってのはどうかと思うが」
「いいだろ、俺と一緒でも」
「そうだな」
言いながら、鳴上は微かに笑う。
もう直ぐ、こんな風に二人で夜景を眺めることも、出来なくなるのだ。
月明かりの下でこんな風に話すことも。
再び訪れる沈黙。
何も言わず夜景を眺めている鳴上は、まるでこの景色を目に焼き付けているかのようで。
ああ、本当にこいつはもう直ぐここから居なくなるんだと改めて実感していた。
月の光が明るいからこそ、じっと夜景を眺める鳴上の表情も良く見える。
とは言え、ほとんど表情が変わらないから、良く見なければ普段と変わらないようにしか見えないが。
最近良くこんな鳴上の表情を見るなと陽介は思う。
この町を去ることを、寂しいと思って居るのだろうか。
鳴上が最近、出来る限り仲間と、友人と過ごそうとしているのに気付いていた。
誘えば断られることはないし、それは陽介に限らず他の仲間や友人に対してもそうだった。
それに気付いた時も、こいつはもう直ぐここから居なくなるんだと実感した。
帰るなと、ここに居ろと言いそうになったのは何度あっただろうか。
そう言えば――。
「陽介」
呼ばれて陽介は我に返る。
「な、なに?」
「なに、じゃないだろ。俺に用があるから呼び出したんだろ」
「そうだけど」
「逃避するな」
お見通しですか、と陽介は思う。
そう、最近の鳴上の様子なんか思い出したりして、今この現状から逃避していたのだ。
伝えたいのに、そのつもりで呼び出したのに。
でも、そうやって先を促しておいて、それでも強引に喋らせようとはしない。
ただ単に、逃避している陽介を現実に戻しただけなのだ、鳴上は。
敵わないと思う。
陽介が話す気になるまで、きっといつまでだって待つんだろう。
とは言え、あんまり待たせる訳にもいかない。
「なあ、鳴上」
「なんだ」
「こんな夜に出てきて大丈夫なのか、その、堂島さん心配しないか?」
「大丈夫だ。夜バイトしてたからな。多分今日もバイトだと思ってる」
「そうか」
「呼び出しておいて今更それか。陽介らしいな」
そう言って鳴上は微かに笑う。
殆ど表情の変わらないこいつの、こんな風に笑う顔を良く見るようになったのは、いつ頃からだろうか。
仲間や友人と共に居る時に、特に良く見るよなあなんて思いながら鳴上を眺める。
菜々子ちゃんと一緒に居る時の”お兄ちゃん”な鳴上もいいが、やっぱり俺は――。
そこまで思いはっとする。
逃避している場合じゃないのだ。
覚悟を決めて鳴上を呼び出したはず。
ならば、伝えなければ終わらない。
そんなことは分かっているが、中々言い出せない。
今の関係を崩したくない。
でも、もっと近づきたい。
友人としてじゃなく、傍に居たい。
そして出来る事ならば、相棒としてのこの立ち位置も失いたくないのだ。
我儘だなと、陽介は思う。
見れば、鳴上は月を見上げている。
月の光に照らされて、色素の薄い髪の毛が白く見えて、そのせいなのか、焦燥感にとらわれる。
ああこいつはもうすぐ居なくなるんだと、何故なのか再び実感していた。
時間がないのだ、もう。
二度と会えない距離じゃない。
だが、距離が離れてしまえばきっとこの想いは伝えられない。
その為だけに鳴上を訪ねる事は、きっと陽介には出来ないだろうから。
そう、だからこそ決心したはずなのだ、伝える、と。
「――なあ、鳴上」
「なんだ?」
月を見上げていた鳴上の視線が、言葉と共に陽介に向けられる。
視線が合い、思わず逸らすように下を向く。
真っ直ぐに鳴上を見て伝える勇気は、なかった。
「俺、さ。……俺、お前が、……お前の事が、好き、なんだ」
下を向いたまま、なんとかそれだけを告げる。
鳴上からは何の反応もない。
流石に引かれたか、と思い溜息を吐き出そうとした瞬間、聞こえてきた声に、陽介は顔を上げた。
「そうか、分かった」
「――え?」
思わず聞き返す。
その陽介の反応をどうとったのか、鳴上は言葉を続けた。
「ああ、返事は少し待ってくれ。俺は陽介をそういう風に見たことないから、考えてみる」
「――は?」
普段と変わらない態度で、普段と変わらない口調で、鳴上は一体なんと言ったのか。
考えてみる、って言ったよな。
「今、何て言った?」
「返事は少し待ってくれ」
「そのあと」
「……考えてみる」
「何を」
「何をって、陽介が言った事について、だ」
「……お前、嫌じゃないのか」
「流石に驚いたが、別に嫌じゃない」
「普通、同性の友人にこんなこと言われたら引かないか?」
「お前は、俺にどうして欲しいんだ」
「……」
「陽介は陽介だろ。俺に対してどういう感情を持っていようと、変わらない」
――だから俺も、陽介に対する態度を変えるつもりもない。
続けられた言葉に、不覚にも泣きそうになった。
そう言えばこいつはこういう奴だったなと改めて思う。
こんなことくらいで態度を変えるような奴じゃない事くらい、誰よりも知っていたはずなのに。
だからこそ俺は――。
「お前の様子がずっと可笑しかったのは、これが原因か」
ぽつりと呟かれた言葉に鳴上を見れば、どことなくほっとしているように見える。
「もしかして、心配してくれちゃったりした?」
「当たり前だろ。何かあったのか聞いても、答えないし」
僅かに拗ねたような響きが声に交じっていて、陽介は思わず声を上げて笑った。
しばらく笑う陽介を不満げに見ていた鳴上は、溜息を一つ吐く。
そうしてつられる様に、微かに笑った。
「こんなことならもっと早く言えば良かった」
「まあ、陽介だからな。仕方ない」
「どういう意味だよ」
「そういう意味だ」
そう言ってまた笑い合う。
今日の事はこの先ずっと忘れないだろう。
月明かりの下で交わされた言葉も、この光景も。
失う覚悟をしていた。
けれど、結果は何も失う事はなかった。
きっとこの関係はこの先もずっと変わらないのだろう。
改めてこの地で得たモノに、陽介は感謝していた。
帰るか――と言ったのはどちらだったか。
分からないが、二人は家へと向かって歩き出す。
互いの家への道が分かれる所まで来て、そして去っていく鳴上の背をしばらく見送っていた。
見上げれば、綺麗な月が出ていて、月の光に照らされて、夜道は結構明るい。
あの時、霧に包まれたあの場所で気付いた想いの行方はまだ分からないけれど。
でも、すっきりとしていた。
どんな結果でも、今なら受け止められる。
変わらないと、信じられるから。
END
2012/12/08up : 紅希