■永遠に

今日の珈琲は美味く淹れられた気がする。
カップを満たす褐色と立ち上る香りを確かめると、つい笑みが浮かんだ。
数えきれないほど淹れる機会はあったが、いつも納得できる味になるとは限らない。
思い通りにならない難しさがあるからこそ、美味く淹れられた時は密かに喜ばしく思っている。
―――ただ、それを振る舞う相手が、

「珈琲の味は分かんねーけど、このアップルパイはメチャクチャ美味いな!」

奥深い味わいを理解する舌を持たないらしいトカゲと、

「サンダルフォンさんが一生懸命淹れてくれたから、とっても美味しい気がします!」

元の味など分からぬほどミルクを入れて飲んだ挙げ句、褒め言葉かどうか微妙な感想を述べる蒼の少女と、

「………………」

無理をしてブラックで一口含み、硬直しながら苦みに耐えている特異点。
誰一人、珈琲を語るに値しないのだから張り合いがない。
……いや。
ここで張り合いを見出しては、特異点たちにまんまと乗せられたことになってしまうのだが。

『今日はサンダルフォンさんの珈琲が飲みたいです!』

特異点たちの日課のようになっているお茶の時間に俺を巻き込もうとするのは、大抵ルリアだ。
空中に『わーい』と書かれている幻影でも見えそうな満面の笑み。
悪気などあるはずもないと分かっていながら『味の分からないヤツらに淹れる珈琲などない』と撥ねつければ、

『そんなこと言ってお前、オイラたちを納得させる自信がねぇんだろ』

ビィが挑発してくるのを受けて立つ形で、結局お茶の時間に参加する羽目になる。
そんな2人を―――俺まで含めて3人を、特異点が微笑みながら見守っている。
時に本気で冷たくあしらおうとしても、次の機会にまた誘いに来る。

『オイラたちの舌じゃ物足りねぇってんなら、違いの分かるヤツに出してみたら良いんじゃねーか?』
『サンダルフォンさんの珈琲が飲める喫茶店が出来たら素敵ですよね! 私もお手伝いします!』

ついにはそんなことまで言い出す始末だ。
……気を遣われていると気づけるようになったのは、少しは『見える』ようになった証だろうか。

俺に珈琲というものを教えてくれたのはルシフェル様だった。
最初は特異点たちと同じように、こんな苦い飲み物の何が美味いのかと正直思っていたものだ。
だが、毎日珈琲を飲みに来るルシフェル様に付き合っているうちに自分でも淹れるようになって。
天司長の務めの合間を縫って訪れるルシフェル様のために美味い一杯を振る舞いたいと思うようになった。
務めを何も与えられなかった俺にとって、それが唯一、やるべきことだと感じていたのかもしれない。

特異点たちにはそんな話をしたことがある。
ルシフェル様が消滅してしまって、もう二度と珈琲を振る舞えなくなったことも当然知っている。
お茶の時間にかこつけて俺を珈琲に関わらせようとするのは、やはり彼らなりの気遣いなのだろう。

他人に心配されるほど態度に出したつもりはないが。
こんな風に美味く淹れられた時、確かに俺は今でも考えてしまう。
―――この一杯を貴方に振る舞えたなら、そのひとときを楽しんでくれただろうか、と。

『……………』

試行錯誤して渾身の一杯を出しても、ルシフェル様は大抵、目を閉じて小さく息を吐くばかりだった。
俺にとってその様子は、不合格通知をもらうようなもので。
唯一の務めだと思っている珈琲でもルシフェル様の役には立てなかったのだと、いつも落胆したものだ。
だが、ルシフェル様が消滅して、俺が天司長を引き継ぐことになって。
ルシフェル様の感じていた苦悩や幸せを夢に見るようになって初めて分かったことがある。

俺の淹れた珈琲を一口含み、無言で息を吐く。
それは失望のため息などではなく、文字通りの意味で一息ついていたのだ。
天司としての役割を何も持たないからこそ、俺は天司長の唯一の休息場所になり得ていた。
不合格どころか、美味いと言われる以上の評価を得ていたようなものだった。

『世界中の人々が許さずとも、
 幾星霜の時の中で憎まれようとも、
 君という存在は永遠に私の安寧だ』

最後にそう言って下さったのは、俺への方便などではなく本心だったのだと今なら分かる。
大事なことは失ってから気づくものだと聞くが……。
俺は本当に、見るべきことを何も見ていなかったのだと、失ってから何度も悔いている。
だが、悔いる気持ちを持てたからこそ、楽しめるようになったこともある。

―――たとえばそれは、仲間に気遣われて乗せられて参加する羽目になったお茶の時間だ。

「サンダルフォンさん? どうかしましたか?」
「……いや。どうすれば君たちの舌でも分かるような美味い珈琲を淹れられるか考えていたところだ」
「オイラたちならいつでも試し飲みしてやるからよ。な、ルリア?」
「フッ……トカゲの舌に合う味を見つけるのは、挑み甲斐がありそうな難題だな」
「オイラはトカゲじゃねぇ!」

プンスカと腹を立てるビィを特異点とともに微笑ましく見ながら思う。

……ルシフェル様。
実体は失われても永遠に光となる貴方の存在が確かにあるからこそ、俺は今ここで笑えています。
『いってらっしゃい』と言って俺を見送って下さったあの場所で、珈琲を準備して待っていて下さるなら。
俺は話したいことをたくさん抱えて、必ず会いに行きます。
貴方が驚くほど饒舌にいろんなことを聞かせるつもりでいますから、覚悟していて下さい。



END



2020/06/27up : 春宵