■久遠の絆

 子供の頃の夢を見た。
 あれは確か、小学校低学年くらいだったと思う。
 子供会でチーム分けをした時、たまたま望美と譲が一緒、俺だけ別になってしまって。
 ずっと3人1セットみたいな育ち方をして、初めて別れ別れになったのがその時だった。
 見せ合ったくじのチームが俺だけ違うと知った望美が、ポロポロと泣き始めた。

 『ゲームくらいで、なくことないだろ?』
 『…っく、いやだ…』
 『のぞみちゃん、くじびきだから、しかたないよ』
 『いやだ、まさおみくんもいっしょがいい!』

 譲と2人がかりでどうにかなだめようとしたけど、望美は全然泣き止まない。
 見かねた進行役の大人が別の子供とくじを交換してくれて、何とか落ち着いたんだが。
 夢の中では何故か、望美がずっと泣き続けていた。
 嗚咽でむせるほど泣きじゃくりながら、俺に繰り返し繰り返し言う。
 離れ離れなんて嫌だ、ずっと一緒がいい…と。
 泣いていたのは子供の頃の姿だったはずなのに、ふと気づけば今の望美と重なる。
 また、どうにかなだめようと一歩踏み出す。
 俺の姿も気づけば還内府のものになって、その瞬間、“現実”が頭をよぎって足が止まる。

 チーム分けなんかとは比べ物にならないほど決定的に敵味方に分かれてしまった深い溝。

 俺は、望美の涙を拭いてやることも出来ずにただ泣くのを見ているしかなかった。
 夢見は良い方だと思っていたんだが、こんな時に限って苦い夢を見てしまう。
 それが何かを暗示していたなんて信じるつもりもないんだが。
 一ノ谷で望美と刀を交えることになった時、夢が頭をよぎった―――。

◇◆◇


 福原から屋島に向かう船の上。
 俺は、見るともなしに渦巻く瀬戸内海の波飛沫を見つめていた。
 和睦を餌に攻め寄せた義経率いる源氏軍に負け、福原を追われた。
 さらに、負け知らずだと言われた“還内府”が一ノ谷で“源氏の神子”に、知盛が生田で梶原景時に敗走させられている。
 一門に広がる動揺を思えば、すぐに頭を切り替えて対策を考えなければいけない時だった。
 だが、俺自身も深く混乱していて、とても集中できる状態じゃない。

 ―――なんで、こんなことに………。

 戦場でも口にした後悔を、誰にも聞かれないように胸の中だけで呟く。
 知らず、船べりに肘をついてうなだれるように背を丸めた。
 秋の初め、吉野で野盗に襲われる村人たちを見て、戦を終わらせると誓った。
 そのために俺には俺の、望美には望美の、出来ることをすると言って別れた。
 2人の想いはあの時、確かに重なっていたはずなのに何故………。
 ようやく誓いを叶えられると臨んだ戦場にその相手が現れたのだから、混乱せずにいられる訳がない。

 『私は白龍の神子…。源氏の神子』
 『俺は還内府、平重盛。平家一門のためだ。源氏は…斬る』

 初めてこの時空(せかい)での呼び名を名乗りあった瞬間、幼馴染みが敵同士に変わった。
 手のひらに、腕に、半時ほど前に望美と交わした刀の重みが残っている。
 籠められた力を受けた俺も、手加減なく大太刀を振るっていた。
 本気で相手を斬ろうとしていた。打ち負かそうとしていた。―――俺も、望美も。
 そうしなければ『戦を終わらせる』という誓いは叶わない。
 相手の強い想いを知っているからこそ、簡単に負けてやることも出来なかった。
 だが、譲れない覚悟と共に刀を向けたはずなのに、今思い出せばわなわなと指先が震える。

 斬りたいはずがない。
 斬れるはずがない。
 けれど、望美の命と引き換えに捨てられるほど、背負った一門の命は軽いものじゃない。
 それはあいつにしても同じことで。
 平家と戦うことが俺と刃を交えることだと知っていても退けなかった。
 源氏に与する者たちの命が、それほど大事だということなんだろう。

 3年半ぶりに再会した望美が、周りから“神子”と呼ばれていることは知っていた。
 本音を言えば、噂の“源氏の神子”じゃないかと疑ったこともある。
 九郎、弁慶、景時。
 望美と一緒にいる“仲間”の名を聞けば、疑いはさらに深くなった。
 このまま望美と譲が源氏と思われる勢力に、俺が平家に居続けるならば、いつか確かめる時が来る。
 そう分かっていても、俺は本当のところを尋ねなかった。
 問い質すことが出来なかった。

 再会したばかりの頃は、今よりも楽観的で何とかなると思っていたせいもあった。
 まだ決定的に全面対決という段階ではなく、停戦交渉の余地があったからだ。
 一門が生き残る目途が立てば、俺も平家に助けられた恩を返すことが出来る。
 晴れて一門を出て、望美や譲と元の世界に帰る手立てを探せる。
 そうなれば源氏か平家かなんて―――
 “源氏の神子”と“還内府”の事も触れる必要がなくなる可能性があった。

 だが、決定的に源氏と平家が戦をするようになっても敢えてその話を避けてきた。
 限りなく黒に近いと知りながら、良い方に良い方に考えて、少しでも白い部分を探すように。
 それどころか、相手の黒さを周りに知られないように気遣いながら。
 俺が還内府だと知っていたらしい望美の様子を思えば、あいつも同じ葛藤を抱えていたんだろう。

 「……ったく、変わってないよな。お互い……」

 嬉しいような、悲しいような、胸が締め付けられるような、複雑な思いで苦笑が漏れる。
 久しぶりに会っても変わらない。―――望美もそうだが、俺自身も。
 今までで一番長い3年半のブランクを経たからこそ、つくづく思い知った。
 望美のこうと決めたら譲らない芯の強さと、素で人を思い遣れる優しさ。
 俺が還内府だと気づきながら口にしなかったこともそうだが、子供会のチーム分けの時もそうだった。
 一緒がいいと言ったら譲らない。
 それだけなら、一人っ子の子供のワガママだ。
 だが、理由を問われれば望美はきっとこう答えたはずだ。

 『だって、離れ離れになったら、将臣くんが寂しいよ』

 そして、望美のそういう性格を知っているから、俺がとる行動も変わらない。
 望美とは隣同士の家だった上に同い年で、赤ん坊の頃からずっと一緒にいた。
 だから、あいつが人を思い遣りすぎて傷つかないように、先回りする癖がついている。
 チームや勢力が1人離れても、大丈夫だという顔をして笑う。
 望美を守るなんて自覚はなかったが、そういう思考回路が無意識に出来ていた。

 今まで2人の間に積もり積もったモノも、誰よりも何よりも多くある。
 それが今までもこれからも続いていく『久遠の絆』だなんて大げさに考えたことはないが……。
 大層な言葉で言い表すよりも、もっと確実な何かで繋がっている。
 小さな思い出の断片がたくさん心にあって、2人の間を固く結んでいる。
 それを、たまたま保護された勢力が敵対していたというだけで、簡単に断ち切れるはずがない。

 このまま行けば、源氏は福原を落とした勢いに乗って屋島にも攻め寄せてくるだろう。
 俺たちの時空での歴史通りにいけば、平家は壇ノ浦で滅びる運命だ。
 そうはならなくても、次こそはどちらかの命が、どちらかの手でもぎ取られるかもしれない。
 どう迎え撃つか策を練ろうとすれば、同じ頭が戦いを避ける方法を考えてしまうのに、どうやって。
 ―――どうやって“源氏の神子”と戦えって?

 ………………………
 ………………
 ………

 「………悪い」

 もう一度、苦笑を漏らしてここには居ない幼馴染みに向かって言葉をかけた。
 いくら考えようが悩もうが、この先、俺がするべきことは決まっていた。
 面と向かって言えないから仕方なく、今ここでその言葉をこぼした。
 『戦を終わらせる』
 戦が始まってしまった以上、その誓いを叶えるためには決着をつけなければならない。
 2人の想いが強く重なっているのが分かるからこそ、敵であり続けなければならない。
 敵として刃を向け合った今では、それをすまないと謝ることさえできない……。

 それは望美にしても同じことで。
 “還内府”と刃を交えて、討ち取った訳ではないが退かせた。
 その事実は望美の心がどうであれ、もてはやされ、引くに引けない状況にさせるだろう。
 苦しい想いを抱えて戦わなければならない幼馴染みのために、俺がしてやれることは悲しいほど少ない。
 
 ―――だから、俺は、俺に出来ることを、やりきる。

 離れても絶対に切れない『久遠の絆』を感じているからこそ。
 俺は、あいつの前で、還内府であり続ける。
 敵味方に分かれて引き裂かれそうな想いになっても、あいつが戦うことを選んだのならそれに報いる。


 ひとつ大きく息を吐き出して渦巻く瀬戸内の波に向かって顔を上げた。
 そして次の戦の相談をするために皆の元に歩き出した。
 ようやく決めた覚悟が揺るがないうちに、後に引けない枷を自分に負わせるために。 


END



2012/12/07up : 春宵