■境界線

2011年4月11日。
八十稲羽の駅に降り立ち、鳴上悠は溜息を一つ零す。
ここにこうして降り立つのは一体何度目だろうか。
一番最初にこの場に降り立ち、稲羽市で起こる事件を仲間と共に解決し、そして――。
失った大切な存在。
絶望のままに、菜々子をテレビの中へと落とした生田目を同じようにテレビに落とし。
そして――都会へと帰った悠は二度と仲間と会う事が出来なくなった。
後悔し、そしてやり直せるものならやり直したいと切実に願った結果、2011年4月11日に再び八十稲羽の駅に降り立っていた。
最初は正直混乱した。
目の前で展開されるのは、一度経験した事ばかりで。
一度目の記憶を持ったままやり直した二度目。
選択を間違える事無く進み、真実を掴む事が出来た。
菜々子も助かり、稲羽市を覆っていた霧も晴れ、今度はやり直しを願う事はなかった。
ただ、出来る事ならば、小西先輩を助けられたら――そう思った。
陽介の為に、助けられるものならば助けたい。そう思った結果、再び悠は2011年4月11日に八十稲羽の駅に降り立っていたのだ。
訳が分からなかった。
何故また戻ったのか分からないが戻った以上、もう一度繰り返すしかなかった。
一度目の記憶も二度目の記憶もある状態で、けれど何も知らない振りをして。
陽介や、千枝、雪子。
菜々子に堂島さんとも初めて会った振りをして。
完二にりせに直斗にクマ。それ以外の稲羽市で出会った人達。
知っているのに知らない振りをして、見えない境界線を彼らとの間に引いていた。
決してそれを乗り越えないように注意しながら、けれど怪しまれないように。
そうして繰り返した三度目。
結果、小西先輩を助ける事は出来なかったのだ。
そして再び、戻る。
何度も何度も繰り返して、そうして分かった事がある。
どうしたって変えられない事があるのだと言う事を。
けれどそれでも悠が本当の意味で満足した結果を得られない限り、繰り返すのだと言う事を。
三度目の時に皆との間に引いた境界線は、今はあの時よりもさらにしっかりと引いている。
いつだって休まる事などない。
気を抜けば、全部知っているのだと言ってしまいそうになるから。
いい加減疲れていた。
もう終わりにしたいとそう思うのに――このループから抜け出す方法が分からない。
諦めればいいのかもしれない。
けれど、出来る事ならば、その思いは簡単には消えない。
小西先輩の死で陽介がどれ程苦しんだか知っているからこそ、助けられないと知っても、それでも、と思ってしまう。
その結果が今目の前の光景だと分かって居ても、どうしようもないのだ。
何度目だろうかと、八十稲羽の駅に降り立った悠を迎えに来た堂島と菜々子の姿を見て思う。
何度も何度も繰り返した挨拶を口にして、そして――堂島の車でガソリンスタンドへと向かう。
此処で彼と握手をしなければ、悠が事件に関わる事はないかもしれないと思っても、それでも差し出された手をとってしまう。
もう何度目か分からない同じ事の繰り返し――のはずだったのに。

4月12日、八十神高校へと初めて登校する途中。
自転車で電柱へと激突する陽介を見て、「懐かしい」とさえ思う事もなくなったなと思いつつ向かった学校の校門に立つ人影。
それは、何度も何度も繰り返した同じ日々の中で初めての”違う”出来事だった。

「足立、さん」

じっと悠を見るその姿を見て思わず悠は呟く。
本来ならばまだ名前を知る筈がないその人の名を。
けれどその事に驚いた風もなく、足立は微かに笑って言葉を紡いだ。

「なーんで僕の名前知ってるのかな、悠君」
「そういう足立さんこそ」
「流石に何度も繰り返してると、この程度じゃ驚かないのか」
「いえ、驚いてますよ」
「そうは見えないけど」
「……」

無言で睨めば、足立は大げさに肩を竦めて見せて、微かに笑って告げる。

「……分かったよ。余計な事は言わない。君の学校が終わる頃にでも待っててあげるよ」
「……分かりました」

溜息を一つ零してそう言って、悠は足立の横をすり抜けて学校へと向かった。
何度も何度も繰り返した同じ日々の中、初めての”違う”出来事。
何故足立は悠が何度も繰り返している事を知っているのか分からないが、考えても仕方がないだろうと思い、何度も繰り返した同じ出来事を繰り返す。
放課後、マヨナカテレビの噂をするクラスメイトの会話が聞こえてくる。
山野アナ、その名前にこっそりと溜息を吐いた。
山野アナの遺体が見つかるのは、今日だ――そう思った途端、学区内で事件が発生したという何度も聞いた放送が入り、一緒に帰ろうと千枝に誘われ、雪子と三人で帰る。
何度も引いた境界線をまた引いて、初めての振りをする。
最初の頃は仲が良かった彼らとの間に境界線を引く度に心が軋むような気がしたが、いつからかそんな事もなくなった。
境界線を引く事も、初めての振りをする事も、何でもなく当たり前のように出来るようになって久しい。
学校が終わるころに待ってると言った足立の姿は見えない。
事件の捜査をしているんだろうから無理もないかと思う。
自分でやった事を調べるってどんな気分だろうかと、千枝と雪子の話を聞きながら思っていた。
千枝達と別れて堂島家へと向かって歩き出した悠の前に立ちはだかる影。

「足立さん」
「やあ、悠君。待ってたよ」
「事件の捜査しなくて良いんですか」
「したってしょうがないでしょ。犯人、ここに居るんだし」

知ってるんでしょ? と足立は問う。
それに悠は無言で頷いた。
ずっとずっと隠して来た事。それを話せる相手が居た事にほっとする自分に気付く。
疲れているのは確かだ。
繰り返す変わらない日々。変えたくても変わらない出来事。
いい加減もう終わりにしたかった。
仲間である彼らとの間に境界線を引くのに慣れても、どこにも休まる場所がない状態が続けば疲れる。
諦めればいいだけだと分かっていても、それでも心のどこかで今度こそはと思う自分が居る。
そう思う限り続くのだろうと分かって居ても、どうしようもないのだ。

「……何の用ですか」
「何で君が繰り返してる事知ってるのか、聞かないの?」
「話してくれるんですか?」
「君さ、君だけが繰り返してると思ってたの?」
「……」
「僕もなんだよね。君だけが繰り返すのは不公平だとかで、僕も繰り返す事になったんだよ」
「……そうなんですか」
「君のせいなんだけど、何か他に言う事無いの?」
「何を言って欲しいんですか」
「君、ホント可愛げないよね」

前はもう少し可愛げあった気がするけど。と足立は続ける。
それに答える気は、悠にはなかった。
何度も何度も同じ日々を繰り返せば、性格も変わると悠は思う。
以前からあまり物事に動じない方ではあったが、今では驚く事も殆どない。
それもそうだろう。
展開されるのは、何度も何度も見た変わり映えのしない日々なのだから。
お陰で以前よりも更に冷静だのクールだの言われる羽目になっている。
そんな事はどうでもいいかと悠は思う。

「それで、俺に何か用ですか」
「変えたいんでしょ? 悠君は」
「……」
「簡単な事だと思うんだけどな、変えるのなんて」
「どういう意味ですか」
「今君の目の前に居る僕を、殺せばいい。そうすれば彼女は助かる」
「……足立さんが彼女をテレビに入れるのを止めればいいだけだと思いますが」
「止めると思う?」
「……思いません」
「だからさ、僕を殺せばいいって言ってるでしょ」
「……」

それを考えた事が一度もないとは言わない。
恐らくそれしか小西先輩を助ける方法はないと言う事も分かっている。
それでも――出来なかった。
足立が山野アナや小西先輩をテレビの中に入れた理由は本当に身勝手なモノで。
でもそれでも、出来ない。
きっと足立を殺しても、またループするだろうと分かってるから。
足立を殺したらまたきっと後悔する。
確かに足立が山野アナや小西先輩を殺した理由は身勝手なもので、許せるものではないが、それでも、足立を悪い奴だとはどうしても思えないのだ。
だから、出来ない。
あの時のようにテレビの中に落とすだけだとしても、出来ない。
今ここにテレビはないから、どちらにしろそれも無理だけど。
悠に足立を殺す気はない。
それで満足するとは思えないから。
それに、一度生田目をテレビに落とした事があるから分かる。
あんな事二度としたいとは思わない。
残るのは、後悔だけだ。

「話はそれだけですか。なら――」
「君さ、このループから抜け出したくないの?」
「足立さんを殺して抜け出せるとは思えませんから」

そう言えば、足立はあから様に呆れたように溜息を吐き出す。
それを見て悠は、無言で足立の横を通り過ぎようとした。
すれ違いざまに足立の声が届く。

「本当に君、可愛くないよね」
「それはどうも」

そう返して、悠は立ち止る事無く堂島家へと向かって足を進める。
そんな悠の背に、足立が笑いながら声を掛けた。

「ま、僕はそんな君を見てるのは、楽しいからいいんだけど」

その言葉にも、悠は足を止める事はない。
説得したところで足立は小西先輩をテレビに入れる事は止めないだろうし、本人もそう言っている。
ならばもう、仕方ないんだろう。
彼を止める事も殺す事も出来ないのならば、もうどうしようもない。

また同じ一年が繰り返されるのか――そう思いながら、溜息を吐き出す。
仲間である彼らとの間に不自然にならないようにけれどしっかりと境界線を引いて、再び進む。
真実を掴む為に。
そして、いつの日かこのループから抜け出せる事を願って。



END



2012/06/14up : 紅希