■異物(遺物)
浅い眠りで、見る夢は。
灰色味がかった雑踏の中を理由も目的も無く歩く、そんな状況ばかりで。
赤の他人も、知っているかもしれない誰かも、区別がつかない。
それは、色のない世界で生きているような現実と、あまり変わりがない。
夢も現実も同じようなものなら、眠ることに意味なんてないのかもしれない。
そう気づいてから、前にも増して睡眠時間が少なくなった。
『久保田さんて、ちゃんと寝てるんすか?』
『寝てるけど、何で?』
『いやなんか、寝てること全然見たことないんで』
『んー、眠い時に寝てるけどね』
『え、てゆーかそれ、眠くなかったらずっと起きてるってことですか?』
『………さぁ?』
なんて会話を、昔、誰かとしたような。
それも1人じゃなかった気がするから、他人と比べても眠る時間は短いんだろう。
だからって、長いはずの起きている時間にも、大した意味なんて無いんだけど。
―――きっと、生きていることにさえも。
◇◆◇
「……っ……」
唐突に目が覚めた。
自分が眠っていたことに、それもずいぶん深く眠っていたらしいことに、軽く混乱する。
寝ようとした覚えが無い。
横になった記憶が無い。
意識を手放した感覚も無い。
けれど、茫然と見上げた天井は見慣れたベッドルームのもので。
何か異変があって気を失ったという訳では無いんだろう。
ただ、寝汗で張り付くシャツが、時間の経過を物語っていた。
ひどく喉が渇いている。
暑さの具合から、もう夕方近い時間だと分かる。
一体、どれくらい落ちていたのか。
外した記憶のない眼鏡は、どこにあるのか。
気になることはいくつもあったけれど、ともかく煙草が吸いたかった。
ベッドサイドを探ろうとして、ようやく左腕の重みに気づく。
「すー…すー…すー…」
人の腕をちゃっかり枕にして、規則正しい寝息を立てている時任。
器用に身体を丸めて俺が寝ている隙間を埋めるように横になっている。
わざわざこんな狭いところを選んで寝なくてもいいのに。
そんな体勢でも気持ち良さそうに寝ているから、思わず笑いが漏れた。
夏の終わりの午後。
ほんの少し開けた窓から入って来る風も生温かくて、蒸し暑い。
身体を寄せていれば、触れたところから汗ばんで来るのに―――。
ぬくもりと言うには熱い体温をまだ手放したくなくて、煙草を探すのを諦めた。
猫が暑いと騒ぎだすまで、もう少しこのまま。
そう思って目を閉じようとしたら、パチリと目を開けた時任と視線がぶつかった。
「………なんだ、起きたのか?」
「それ、こっちのセリフなんだけど」
時任は欠伸をしながら、丸めた身体を引き伸ばすように一度伸びをする。
そして、上目遣いで俺を見ながら不機嫌そうに言った。
「いいや、オレのセリフだね。」
「なんで?」
「麻雀のバイトから帰って来るなり、ゴメンとか言って、急に人に向かって倒れ込んで…
具合悪りぃのかとか、熱でもあんのかとか、色々考えたのに、寝息たてて寝てるし。」
「……ああ……」
―――思い出した。
面子が足りないと言って呼び出された雀荘のバイトで、朝まで付き合わされて。
ふらふらと帰ってきた記憶は、確かにある。
ここ数日、深夜の仕事が続いてほとんど寝てなかったのも事実だった。
とうとう限界が来て、寝落ちしたという訳なんだろう。
「……ああ、じゃねぇよ。」
まだ人の腕を枕にしたまま、俺の方に身体の向きを変えながら時任は口を尖らせる。
久保ちゃんの巨体をベッドまで運ぶの大変だったんだかんな、とか。
暑いし、眼鏡邪魔だし、落っこちて踏んづけそうになるし、全然起きねぇし、とか。
散々拗ねたような言葉を紡いだ後、少し声を小さくして続ける。
「いきなり倒れやがって……心配、したんだからな」
「……うん」
「この俺様に心配かけたんだから、ちゃんと反省しろよ?」
「……うん、ごめんね」
言われるまま謝って、腕枕の左手で時任の髪に触れた。
汗で湿る髪の先まで熱いぬくもりが宿っているようで。
眠ることにも、起きていることにも、生きることにも、何の意味もなくても。
このぬくもりを抱いていられる間だけは意味があったと、いつか振り返れるように。
時任の身体ごと胸の中にそっと手繰り寄せようとした。
けれど、力を籠めるのを躊躇って硬直した。
傍に本来無かったはずの異物があることで、無意味だったことに意味が宿る。
灰色一色だった世界に、色や温度や感情が加わる。
その変化はコンビニの新製品よりずっと刺激が強く、だからこそ厄介なものだ。
―――恐い、とそう思う。
自分の中に異物が入って来ること自体が、じゃなくて。
いつかそれを失くしたくないと思う日が来るのかもしれない。
いつか失くすことになって、異物が遺物に変わる日が来るのかもしれない。
その、恐怖。
そして、失くさないために手の内に留めようとした時、自分が何をするのか読めない恐怖。
壊れていてもいいから……壊してもいいから、ここに置きたいと願ってしまったら。
そう決めたら、躊躇わずにやれる自分を知っているから、なおさら。
手放さないためにではなく、恐さに震えそうな自分を抑え込むように―――
今度こそ、腕に力を籠めて時任をぐっと抱き寄せた。
「うわ、暑ちぃって! くっつくな!」
「最初にくっついてたのは時任っしょ?」
「仕方ねーだろ、久保ちゃん、爆睡してたんだから」
「寝ちゃった俺の事なんて、ソファーにでも放り投げておけば良かったのに」
「……んなこと、出来るかよ。ほんとに具合悪かったらどうすんだ」
「ふふっ」
「あーもう、変な笑い方すんな! つーか、離れろ! 暑いって!」
腕の中で暴れる時任を放してやらないまま、目を閉じた。
自分から眠りを貪るために。―――暴れ出しそうな感情を眠らせるために。
END
2012/08/14up : 春宵