■氷点下の微笑み
車が星奏学院の前に停まると、閉じた窓ごしでも校門の奥のざわめきが聴こえた。
親衛隊の面々が、"柚木サマ"の登校を待ち構えているんだろう。
「……今日も学校生活の始まり、だね」
自分で選んだ学校だけれど、"騒々しい"という形容詞を付けたくなるくらいには煩わしい。
恭しくドアを開けて頭を下げる運転手に促されて車を降りながら、小さく息を吐いた。
「柚木サマ、おはようございます!!!」
「おはよう。皆、今日もよろしくね」
「キャァァァ」
爽やかな朝の空気をつんざくような歓声に頭痛を感じながらも、微笑を浮かべる。
季節で例えるなら春。
せいぜい親切で気品のある人間だと思われるように、温かい表情と態度で言葉を返していく。
けれど、実際のところは氷点下の微笑と言っても良いような冷たさが自分の中にある。
どう見えているかを意識しながら行動するようになったのは、昨日今日じゃない。
微笑の浮かべ方も堂に入っていると思うけれど、内面の冷ややかさも冴え渡るというものだ。
暖かさが続いたと思って油断していると急に寒の戻りがやって来る。
寒暖をくり返す天候を思えば、この在り方を"春"と例えるのも間違いではないのかもしれない。
「柚木先輩、昨日はありがとうございました!」
「おはよう。僕が少しでも助けになれたのなら嬉しいよ」
「柚木、今日も女子や後輩に囲まれて大変そうだな」
「頼りにしてもらえた以上は、信頼に応えられるようにしないといけないからね」
校門から校舎まで数メートル。
親衛隊の前を通り過ぎた後も、次から次へと声がかかる。
―――車で送り迎えしてもらえる身で良かった。
今まで何度も思ったことを、今日も心底実感した。
これが電車の中や最寄駅から学院までの道のりの間ずっと続いたかもしれないと思うと、想像するだけでもげんなりする。
朝から憂鬱になって来た視界に、少し離れて前を歩く普通科女子の姿が入って来た。
他の生徒たちも歩いている中で目に留めたのは、セミロングの後ろ髪が不自然にふよふよ揺れていたからだ。
決して、それが先日、学内コンクール辞退を迫った相手、日野香穂子だったせいじゃない。
「日野さん、おはよう」
少しだけ歩を速めて隣に追いつくと、他の生徒に対してのものと同じ微笑みを浮かべて声をかけた。
この間、"氷点下"の態度を垣間見せたせいだろう。
あからさまに警戒したような態度で「お、おはようございます」と挨拶を返してくる。
こちらから声をかけたことに反応して、遠巻きに後ろをついてきていた親衛隊の女子たちがざわめいている。
それを見越した上で、敢えて聴こえるように後頭部の寝癖を指摘してやった。
「急に声をかけて驚かせてごめんね。後ろ髪が跳ねているようだから、教えた方が良いかと思って」
予想通り、背後で嘲るような忍び笑いが起こる。
その音に紛れさせるようにして、日野にだけ聴こえるように囁く。
「朝から俺を楽しませようとする心意気は買うけど、笑い者になるのは辞めた方がいいんじゃないかな」
「……っ、教えていただいてありがとうございます」
それを聴いた日野は、寝癖を撫でながら足早に普通科棟の方へ去っていった。
後ろ姿を見送りながら、先程までとは違う笑みを浮かべている自分に気づく。
普通科の楽器初心者が学内音楽コンクールに参加して目立とうとしているのが気に入らないから、芽を潰してやろうと思っていたけれど。
"あるべき姿"ではなく普段は表に出さない内面を垣間見せられることに、胸のすく思いがする。
……次に彼女に出くわすのは、いつかな。
考えながら教室に向かう歩調は、日野に会う前よりも明らかに軽くなっていた。
END
2021/04/05up : 春宵